ついに出たア
これこそamanといわなくて何がアマンだ。
これはですね。今週号のTIME紙のpage 45. Please look into my eyes というか、ほんとピッタリのイメージの写真で私はようやくこのアマンの情景にめぐりあえた、とある意味感激です。
暗い空と不気味な暗い森のはずれにspiderがじっとたたずんでいます。背景にある洋館には一階の端に或る部屋には明かりがともっています。This is one of many works to have been exhibited at the Wasa's Foundation. つまり彫刻lの屋外展示です。美術館の中での展示とはまた違った趣ですね。
ルイーズブルジョワさんが作者で、これと同じタイトルmamanという巨大彫刻が世界中にあります。
その心は、作者の幼いころの心象風景にあります。
豊かな家庭に生まれて、父親が住込み家庭女教師と不倫関係になり、それを妻(ルイーズの母親)は、処理することができずに認めてしまい、不条理な家庭生活が続く。そこに父親への憎しみと母親への哀しみが交錯して、ほとんど暗い情念の世界に精神をさまよわせる・・・・それがママンの主題。
それが、この写真のように、屋外の、森外れ、洋館、荒野、という実際の環境の下に置かれると、そのテーマがそのまま理解されます。だから私は、この写真の情景をみて感動しました。
言い換えると、彫刻は、美術館屋内で警備員に囲まれた小部屋で、鑑賞する、ものでは、ない、のではないか、という根本的疑問が生じます。彫刻もモノです。モノは周囲の環境との関係性の中で初めてヒトにとって、意味を持ってきます。同じモノでも環境の違ったところに設置されれば、そのもつ意味内容もかわってきます。
場合によっては、環境(場)のほうが対象物よりも重要かもしれません。人には認知の枠組みがあるからです。「そこにそれがあって当然」なので、それでなかった場合の驚き、不自然さは大変です。
このようにヒトの認知の枠組みが作品やモノにぴったり適合している場合、ストレスは感じません。
しかし、それが不適合の場合、見るヒトはストレスを感じます。何かヘンだと。
このアマンと同じ彫刻が東京にあります。
六本木ヒルズ前、六本木駅のヒルズ口の地下鉄を降りて、上に上がった先、オフィス棟入口前に、それはあります。
これは環境に適合しているでしょうか?ヒトにこの作品の意図や背景動機を推測させることができていますか?
私には、そうは見えません。繁華できらびやかな六本木の街中ですよ。どす黒い心の情念を表わすテーマとはフィットしていません。このスカルプチュアの前で家族で記念写真をとるようなモノでは、ないのです。
それなのに、なぜここに設置されているのか![]()
謎です。だれか「文化」の権威者が選択した結果なのか偶然なのか。理由(わけ)です。
権威者が決めたのなら、問題がないのでしょうか?たまたま設計者や森ビル関係者がこれを買い取っておく場所に困ってここに置いたのでしょうか。華やかなヒルズの底に蠢く暗い不条理の世界を取り出して見せたかったのでしょうか、それなら、それを皆さんがそうだと理解しているのでしょうか?
そして、そのような疑問を誰も何も言わないのが不思議でなりません。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
個人向けセミナーというかワークショップをやってます。
異文化コミュニケーションセミナーはコチラ☆

