先週の金曜日ランチビジネス英語セミナーで、議論になったこと。


参加者の1人がランチにおにぎりとカップ入り納豆を持ってこられて、納豆をかきまぜ始めたところ、隣の方が納豆大嫌いな方で、議論がまきおこりました。
スッキリ解決!英語&文化のコミュニケーション・セミナー


日本人なら誰でも納豆大好き(とまで言わなくても問題なく違和感なしの人)がほとんど(このランチ英語セミナー参加者でも、お隣に座られた方以外はみな違和感なしでしょう。まあ、ランチに持ち込むことが普通かどうかは別ですが、ランチはみな好物を持参ですから目くじら立てる必要なし。


外国人は99%は不快と思うようです。例外はあります。


日本人の中でもこのように分かれるということは、生理的にうけつけないレベルの方がいらっしゃるということで、日本文化として納豆(発酵食品)が息づいていると言い切ることができないのか、それとも日本人なら納豆は当然と考えている物差し自体間違っているのか という論点が話題になりました。


人の深層に潜むこのような文化的摩擦要因は実は個人嗜好とどう区別するかという問題につながります。文化は、あるコミュニティ(日本人とか)に共有されているノーマルと思う感情や意識だと定義すれば、個人嗜好は文化の問題ではありません。


同じように、他人の家に招待された人が、その家のキッチンにある冷蔵庫内を(許可なく)開けて拝見する行為は、どうでしょうか。


この人特有の事柄なら個人嗜好ということで、それが嫌な性癖ということなら非常識な人ということになります。異文化の人とはいわないでしょう。


しかし、セミナー参加者の中には同じような異様な経験(他人の家の冷蔵庫覗き見)をした人がおられました。そうなると、ある種の人たちに共通のある種の価値観表現(冷蔵庫を見せることが親友の証し、生活レベルを見せ合うことでよしみを通じる)があるわけです。そうなると、一見すると異様な行動も、理解はできるようになります。このように表面的には驚きの行動でも、一皮めくると別の価値観や考えが潜んでいるのだとすると、それを探ることがその方という人間への理解度を深くすることになります。これが、ディープカルチャーです。


それでもそれを認めて怒らないですますことはしても(accept段階)、自分もそのようにふるまうかどうかは別論ですね。これが、ディープカルチャーのような深い理解をして初めて、自分の状況を客観的になる方法です。そしてこうするとご自分の異様な物・ことから生じるストレスをコントロールできるようになれる、と思います。