ストレスは、外国人にとっては忌み嫌うもので、理想郷はストレスフリーの世界です。
よく海外でのリゾートや豪華のホテルライフをイメージして、Unwindedという言葉がよくつかわれます。セミナーや出張中のミーティング・交渉という昼間の出来事から一切離れるという意味ですが、この言葉に象徴されるように、巻かれたネジというか束ねこんだ紙を一気に解き放つイメージですね。
リラックスということでもありますが、その前提としてストレスフルな日常があります。
その制約から離れた自分、何かをしなくてはならない時間という枠組みから離れることという意味で、ストレスフリーの状態を意味します。だから、価値があるんですね。豪華ホテルやリゾートはそれを演出する舞台装置ですから、それにカネを払うことが意味を持ってくるのです。
外国人に向かって、あなたにはストレスがありますね!と言えば嫌な顔をされたり意外なことを言うというembarrassedな表情を見せられることはよくあります。ストレスがあるということはネガティブな状態という理解です。
ところが、日本人にあなたはストレスがないようです、というと、かえって馬鹿にしているのか、という反応です。ストレスがあることがむしろ「一生懸命」さがあり「真面目」であることの証左だからでしょう。ストレスがないなどとなれば、呑気で、ノウテンキで、ふまじめというイメージにつながるので、或る程度のストレスがいつももちあわせていることは、真面目さや一生懸命であることつまりプラスなのです。だからむしろ過剰なストレスがあることは企業戦士であることの誇りでもあるのでしょう。![]()
ストレス学説にはいろいろあるのですが、このように外国人のストレス価値と日本人のストレス価値とでは異なっていることを理解しておくことは必要なことだと思います。
外国人ではストレスなき状態こそ自分にとって普通の状態ですから、ストレスマネジメントが必要ではあっても、「癒し」などは必要としていないのです。日本人はストレスがあることが良いことなので、初めから「和み(なごみ)」だとか「癒される」ことがセットになってバランスをとっているのでしょう。外国人は、石の配置(京都の寺)や昆虫の鳴き声(鈴虫の音色)、ガラスの擦れる音(風鈴)は、生理的に受け付けられるものとは考えているのかどうか、どうもそうではないようですね。何だソレ?何コレ珍百景のたぐいなのですね。
しかし、日本人の感性がストレスに親和性があるがゆえに無機質なものに癒しを感じてしまう、ということに対して、外国人としてはどのように対応していったらいいのでしょう。
①拒否する、②そういうこともあるのか、ト受け入れる、③なるほど、私もそれを楽しみに思う(adopt)という3つの段階があるでしょうが、少なくとも生理的に受け付けないといって①の態度を取らない限り、②や③のレベルにまで行けると、自分自身が変容していけるのでしょうね。この場合、変容とは、growthつまり成長のことを言います。同じことは、日本人が外国社会や外資系会社という別種のコミュニティに入った場合にもいえることですね。
ストレスフリー vs 癒し の文化的ジレンマ
