明けましておめでとうございます🐯💕
寅年🐯
と言うことは、来年は年女かぁ🐰
人生はあっと言う間に過ぎ去るよう。
どんな本質を得るために私は生まれたのかな?
一生を終える時、こんな宝物を得ましたと、満足して行けるものがあるだろうか?
そんな探求テーマだったようなこの年末年始🎍
一睡も出来なかったと言えば、11月初旬にラジャスタン旅行でプシュカル湖に泊まった時も!
常によく眠れる人なので、あの晩は聖地の強力な波動に浄化させられていると感じ、
抗わずに一晩中座って、瞑想のように沸き上がる記憶や感情を呼吸とともに流していた。
いやー。プシュカルも凄かったな。
(たった1泊2日なのにタイミング良い事象が満載に起こる町。)
インドで唯一、天地創造の神のブラフマン寺院がある地でもある。
クヨクヨ頭で反芻してるらしく、ダメージ増幅させているのはそう、わ・た・し。
夫はその場限りで忘れるらしい(おかしいから)。
それって単に癖や習慣の差なのに、反芻して増幅させて定着させてトラウマにして、
さらにはインド社会に対する恨みつらみまで築いてたの、私👍
というのを、年末年始も色々ハプニングがあり、痛感したのです。
まずハプニング①は、夫の実家の村から義兄の車でチャンディガールに戻る車中でのこと。
今回、村の滞在は何事もなく平和だったので油断していたのだけど、
何せ因縁の義兄1(よく登場します)の車に乗って何もないはずがない。
要約すると、5時間の車中で義兄がずーっと私に質問(尋問)をするのに答え疲れて、最後は私が泣いたという話。
義兄の質問の中心は、インドから日本へ出稼ぎに行く方法。VISAの取り方や物価や経費など、前に何度答えてもまた角度を変えて聞いてくる!
いや、内心(バカなの?意地悪?)と思いながらイチから阿呆のように答えてしまったのも私よ。嫌なら黙ってれば良かったのにね。
が。自分で調べもせず質問ばかりして、嫁なんだから日本の就労ビザを取る手助けをしてくれて当然だろう、みたいな口をきくのは、
こちらの人にとっては「雑談」程度でしかないらしい。
雑談!!!w
って、後で夫から説明を受けて更に死んだ。
「お義兄さん。さっきからずっと外国に出稼ぎに行く質問ばかりされてますが、コロナ禍で2年も自国に帰れない私の身にもなって下さい。
いつどこで何年足止めされるか分からないこのご時世で、私が出稼ぎや留学を勧んでお手伝いしたいと思いますか?
寝たきりの(義兄の)お父さんにも二度と会えなくなるかもしれないですよね?
(義兄の)子供たちが留学しても、留学先で休校になって更に出国さえ出来ない事例もあったらしいのに。
母国に帰れず、周りに誰も理解してくれる人もいない中、何年も孤独に耐え続ける苦しみを味わいたいんですか?」
と
言い過ぎも言い過ぎたところで涙腺が崩壊した。
でこの後、いつも必要以上に波風を立てるのは私なのだとハッキリ気付いたのです。
(義兄が悪いも確か。「君はアメリカにも留学したんだろう。金持ちじゃなかったらどうやって行ったんだ?」とか、「息子は外国人と結婚させようか。その方が経済的に有利だ」とか、失礼極まりない。義母と義姉が英語を理解しないのを良いことに言いたい放題。
ま、自滅するだろ。)
想定内の文化や価値観の違いに触発されて
負の感情が溢れてしまう自分を
許しながらも、見直そうと思った。
いま、ここにない過去や
目の前にない報道なんかに囚われて
幻想の中で悲劇的なストーリーに仕立て上げ
怖れの中で悲劇のヒロイン役に溺れていて、
無力さを反芻して味わう中毒症状のある私。
それを、他人が見せてくれている。
プリプリ怒って義兄のせいにしたって、
また同じドラマの繰り返し。
答えは私自身の内側と繋がることでしか
見えて来ないだろうということだけは分かる。
ここ半年、ちゃんと瞑想をして来なかったからな。。

年始早々のハプニング②は、インドの冬の風物詩、凧揚げをめぐる騒動だった。
ちょうど冬休み真っ最中の近所の子供たちも夢中になる凧揚げ🪁
ところが町内で年末、凧揚げに夢中の小さな子が屋上から転落する事故があったらしい😥
それでウチのアパートの屋上は施錠され、凧揚げ禁止に🚫
私はtinyuri.indiaの新商品の着画撮影を屋上でしているので、大家さんから鍵を預かっていた。それでいつもの様に撮影していると、
大家さんの息子ヤンチャ坊主のナマンが目ざとく見つけて、私に屋上に入れてとしつこく言って来るように💧
流石にもう11才の小学生、何でもダメダメは通用しないわな。。なんて思い、
あまりにしつこくウチのドアを1日に何度もドンドン叩いて訴えるので、元旦の日だけは今日だけだから&気を付けてと注意しながら鍵を貸した。
ナマンはめちゃ体力あってすばしこい(悪)ガキ大将なので、絶対に落ちないだろうしね。
ところが、1つ甘やかすと100ぐらいつけ込んでくるのがインドの下町っ子。笑(←マジ当社比w甥っ子も10才頃はヒドかった)
毎日毎日、朝昼晩関係なく、こっちがトイレ行きたい時も、お風呂に行きたい時も、ご飯支度しないきゃな時もドアをドンドンドンドン!さらには、
パパが屋上を見て来いって。
パパの作業を手伝いに行くから。と、ウソもつき放題。
そして泊まりに来てる何も知らない従姉弟の子たちを送り込んでドアを叩かせる始末。
うるさくて仕事にならないし、
本気で身の危険を感じたほど。。
日曜で夫が家で休んでる朝も3人で「カギ貸して!ドア開けて!」とバンバンやり出したので、ついにプチ。。てね。
お話ししましょうかと。
親がダメって禁止してる事を無視して、しつこく私にたかって来られるとうるさいし、鍵は渡せないし、迷惑だって話しをしたんだけど、
その時、面と向かった時の子供らの態度の悪さに何だか絶望を感じた。
学校もまともに行かず、親の商店の小間使いをしてるナマン。
私からなら鍵を奪ってやって当然だという目をして、一生懸命言い訳のウソを重ねてる。
そして夫に来てもらうと、態度は一変。言い訳をやめて謝りだした。
いとこの女子もさっきまで「あたしインド人だけど、あんた何?ヒンディー語で言わないと分からないわっ」って凄い態度だったのに、
急にモジモジし出して、Sorry...と。
私も以前は小学生を教えてたので、子供だから理屈が分からないのは理解出来るし、「イジメ」「憂さ晴らし」の対象を見つける仕組みも分かる。
でも、本当に何かショックだった。
ナマンはまだ小さかった5才の頃から知ってるだけに。
人を馬鹿にしたり
軽んじたり、
傷つけても平気なのって
それを、周りに普通にされて来たからだよね?
痛みなんて感じないかの様に、不敵に輝く生意気な目の奥に、
しつこい程の問いかけを感じた気がする。
僕どうなの?って。
誰かかまってよって。笑
くっそー。
頑張れ少年。
負けるな、腐るなよ。笑
インド人だから、外国人だからと
勝手に区別を後付けして
それで1番困ったことになってるのも、私本人なのには笑える。
と。ここ最近、頭の中のアンバランスな思い込みが
「強制リセット」されるみたいに
出来事の中であぶり出て強烈カウンターパンチを繰り出して来るのは、ある意味面白い現象。
固定概念にがんじがらめになって
過去の後悔も懺悔も栄光も成果の無限ループの甘い幻想の中で眠っていた意識が、
ばかじゃない?って笑、
さっさと今、ここに目覚めて
前に進み始めるわよって
こんな私でも、新しい時代に呼ばれている気がしてならないのです。