エネルギーを流すこと | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

昨晩の日食の時間帯、いくつかマントラを唱えていた。

 

夏にチベット仏教の瞑想を習う前は、私の中でマントラと瞑想は別々のものだった。しかし少しずつ瞑想が定着して来たのか、昨晩はマントラを唱えることで瞑想に入る感覚を得た。

 

また、プラナヤーマの呼吸法もマントラのリズムに合わせて行うと瞑想に入れるのだという感覚も覚えた。

 

そうしているうちに最近の寒さで冷え切った身体に、足の裏からムクムクとエネルギーが湧いてくるのを感じたところで、レイキヒーリングを行ってみると、マントラ、呼吸法、瞑想との境がなくなったのを感じた。

 

 

昨日の日食には太陽・月・ラーフー・ケートゥの他に水星、金星も近かった。更に木星、土星のコンジャンクションも21日に迫っているので、それぞれの惑星のマントラを唱える。

 

水星のマントラは暗唱していた。私の出生のアートマ・カルカ(一番度数の高い惑星)が水星なので、覚えてたのかな?

 

1時間半ばかり同じ部屋でサーダナを行う私に対し、夫はスマホゲームで盛り上がるというシュールな光景。笑。でも、お経を唱えてもお祈りを始めても、いぶかしむどころか自然に好きにさせておいてくれるのは、流石のインド人。日本でやったら「宗教の人」と偏見に遇いそうだ。

 

先月、村の湖を見に行った時の写真。

 

 

音の共振なのか何なのか、やはり呼吸法だけの時よりも足先から身体が温まる効果がテキメン。不思議過ぎて途中何度も自分の足をチェックしてしまった程。サンスクリットの音に込められた振動の不思議。

 

目には見えない音や空間、普段は感じることのない遠くの星々が、私たちに確かな影響を与えていることは、この世界の全てが繋がっている「空」くうの世界観を仮定すると、自然なことだけれど。

 

 

私たちは影響されるだけでなく、影響を与え返す事も出来ると仮定して、実験を続けてみる価値はありそうだと思う。マントラを通じて、空で見守っていてくれる惑星たちにもっと語りかけてみようかな。

 

 

 

昨晩は訃報を聞いた。夫の弟サンニと、夫の幼馴染マヌー。この2人に薬物を勧めて春頃まで一緒につるんでいたらしい人が、交通事故で亡くなったとか。お義母さん情報。(ってお義母さん本来情報通なのに、自分の息子の奇行は見抜けない皮肉。)

 

何だろう。サンニとマヌーは命拾いしたけど。悲しい結末を急ぐ必要なんてあるんだろうか。。

 

 

このところの気付きは、先回りして心配する事の空しさと、先回りして恐れる程にそれが現実化するという体験。

 

体調を崩すことを恐れて守りに入っていたら、逆にエネルギー不足のような体調不良が長引いたり。このご時世だからと早目にビザ更新を始めたのに、結局は当局とのコミュニケーションがスムーズに行かず期限切れに間に合わず罰金を受けたり。

 

ちょっと昔のことで言うと、もう薬物や依存症がらみで知人を亡くすまいと心に決めたのに、20年後にまた周囲で薬物依存の問題が起きてたり。

 

身に覚えのない事も理不尽な事も、心配しようがしなかろうが、起きる時には起きるもの。ただそれだけの事。

 

私が内心どんなに決心しようが、心配しようが、期待しようが、夢に見ようが、そこにアンカーを据え続けている限りは避けようがない、という様な感覚。しかも、顕在意識ではすっかり忘れてた筈なのにね。

 

どんな事にも過去からの体験や概念によって、アンカーを据えてはいけないんだという気がする。アンカーを付けて仮定した途端に、そこに向かって定義付けを始め、既成事実を創り続けてしまうような気がする。

 

期待に沿ったから喜び

期待が外れたから悲しみ

心配が当たったから怒り

不安が的中して絶望する

 

これだと外の条件に振り回されっ放し。

 

昔の少女漫画みたいな(かわい気のある)感情移入で生きていたら、自分の意志も命の強さも他人任せで、自分を生きる醍醐味なんて味わえないのだろう。

 

恐れも期待も両方捨てる。

過去も未来も両方捨てる。

失敗も惨めさも、達成も栄光も捨てる。

 

瞑想の目的はそこにある。

 

世界をありのままに見る目を曇らせ、現実を受け入れる能力を削ぎ、今を生きる力を失わせるものから、自由になる。

 

見えてなかったものが沢山見えてくる気がするけれど、そんな期待も通念も採用せずにいよう。笑

 

 

寒い冬の買い物の休暇に、ベジタブルスープ。

 

 

今朝は近所の部屋を見に行って来た。こんな下町らしからぬ、ゲート付き、芝生の庭付き、広い窓とバルコニー付きの物件。今の場所のような大音量の野菜売りの掛け声や犬の喧嘩、子供たちの大声、行き交うオンボロエンジンの騒音もない。きっと夜中の酔っ払いの喧嘩や警察や救急車のサイレンもない。

 

夢にまで見た条件なのに、急にさみしく感じたりして。笑

 

結局、部屋自体が狭すぎるので、見送る事になりそう。。。(庭でピクニックやバドミントンも出来るし、広くてキレイな屋上でヨガが出来そうなのに、残念!)

 

今の狭い上にうるさくて古くてゴチャゴチャした部屋に戻って来て、不思議とホッとしている自分もいた。。でも、この家のエネルギーは圧倒的に他人の物だ。長年大家さん一家がこの下町で築いた歴史。その他人のエネルギーに頼り切っている自分はどうよと思った。

 

電気のスイッチを入れるのと同じ様に、私のエネルギーを行き渡らせることが必要なんだなって。昨夜のサーダナと同じ様に、自分の中心からエネルギーを流すこと。。。壁にペイントでもしようか?(その前に掃除。笑)

 

午後は外国人登録書からビザの期限切れの罰金の請求が確定してモヤモヤ。向こうの担当者が休暇で手続きが進まず、めちゃくちゃ時間と労力を取られた上にこっちの落ち度にされて罰金なんて!と、全く納得出来ず何度も問い合わせても同じ結果に。

 

思わず、同じパンジャーブ州に住むYちゃんに電話相談してしまった。いっぱい話せてめっちゃスッキリ!こんな時期にこんな場所で日本人とインドの悩みを話し合える奇跡に救われた。宝くじ当たるより凄い確率(だってまだお会いしたことないのいに)笑

 

 

ま。

 

インドは、期待してた様な環境じゃなかった。

 

ちょっと前に夢見てた未来は、来なかった。

 

でも今ある幸せを味わわない手はない。笑

 

1つ1つ行動しながら現実を受け入れて、いつも最善を尽くした結果には満足していても良いんだと思った日。

 

 

セキュリティも手入れも行き届いた素敵な物件でした。

 

 

引っ越すべきかタロットにも聞いてみた。しかし、タロットや占星術が当たると仮定することは、思い込みのアンカーなのか真実なのか。。。エネルギーワークの様な実感が持てるまで、続けるしかない。