脱皮しまーす。 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

11月になった。お祭りや行事で忙しかった10月が終わり、次は何をして良いのやら。。。なんて事を夫に言うと、

 

「次何するか?3度の飯と仕事と睡眠の他に、一体君には何があるの?」と笑われた。

 

そんなんで良いの?と思うけど、幸福度は高そう。笑

 

 

なるほど。3度のメシと家事と睡眠では「ダメ!」と、強固に信じてる自分がいるらしい。。。でも、何で?

 

私には「仕事がないと価値がない」。

 

そう長年思い込んでたからかもと思う。NGOの仕事は結婚式と両立出来ずに辞め、業務を横流ししてたらしい?翻訳の担当者とは断絶。なのでここ2ヶ月、仕事も収入もゼロ。

 

一番怖れていた筈の「無職」で「専業主婦」??

 

でも、そうなってみると怖れていた程でもなかった!というのが、この人体実験の結果。笑

 

 

私にとっては長年未知の領域だっただけで、色んなイメージが先行した。生まれ育った価値観もあり、そうじゃない自分をジャッジしてただけ。

 

母親は日本のウーマン・リブ世代(古代?)で、恋愛も結婚も子供もどーでも良いから、仕事仕事!と育てられた(かなり反抗してやらかしたけど)。親に認められたいとか、日本の社会でジャッジされたくないっていう保身があったかも。

 

でもねー、ここはインドの下町。

 

過去の狭ーい価値観と、惰性な保身の習慣で生きても、誰も幸せにならない。

 

夫は最近、毎日作り立てのご飯が出てくるのと、家が整ってるからか、安心して仕事に集中してる。初のインセンティブも付き、さらに意欲的だ。共働きでバタバタしてた頃とは明らかな変化。そう思うと、

 

「最悪の事態」なんて、大したことないな!と。笑

 

やり甲斐だって主婦の仕事はエンドレスで、自分で自分を褒め讃え放題。それに社会的に認知されたい!なんて欲求は、このインドではまだ始まってもいない代物よ。こちらの世界から見ると、先進国の自分主義はかなり自己中で、エゴの肥大?に見える時もある。

 

ご飯が食べれたら、他に何がいるの?って。笑

 

目立ちもせず、活躍もせず、黙々と必要な事をする。それが良い悪いではないけど、ココにはそんな生き方もある。

 

実際に今は、住環境を整えることで手一杯でもある。これから少しずつ、湯沸かし器やエアコンを付けたり、洗濯機を置ける家に引っ越したいとは思うけど。

 

 

慣れ親しんだ既存の価値観にサヨナラして、

想像しうる最悪の事態まで現実化させ、

仮面を剥いで、殻を破って、脱皮して。

 

そうしないとインドに追いつけない。

 

 

長年生きてて色々あったのに、過去の栄光も黒歴史も、「そんなしょーもないもん早よ捨てろ!」と、人生にツッコまれてる。笑

 

心の傷やトラウマだって、そう。

 

でも人間って、一番愛した時に一番傷つくのかもね。

 

だから後生大事にその傷を手放せない。あんなに愛してたのにって、その栄光にしがみついているだけ。相手は許せて忘れても、頑なに無意識で自分を責めてたりするのは、もう意味をなさない証明に意地になってるから。

 

自分は、

人に愛されるのに値しない人間だとか、

仕事をしていないと価値がないとか、

 

本当はどーでもいいロジックを、ロマンたっぷりもっともらしく作り上げるのも、自分が揺らいだゼロ地点から、本当はまだ歩き出したくないのだろう。

 

 

私も若い頃、墓場まで持ってくと誓った大きな失敗があった。それはすごく産みたかった子を堕胎しなければならなかったこと。「一生自分を許さない」って条件で、取りあえず生きることにした。で、その時出会ったパートナーも、後に自殺してしまったり。更にその事を、おこがましくも自分のせいかもと思ってしまったのだ。

 

そうやって自分でかけてった呪いの解き方が、20年以上分からずにいた。

 

 

でも結局、インドに来て色々と衝撃的なことがあり、呪縛は解けて行った。過去の価値観が崩壊したと言うか、単純に「死にかけた」からかもしれないけれど。意地を張るのにも限界がある。

 

特に最後の流産をした時、世界がひっくり返った。

 

あんなに欲しかったはずの赤ちゃんが流れかけている状態で、意識が遠のきながらも強烈に「私は生き延びるー!絶対死なないー!」って、結局それしかなかった訳で。笑

 

子供を亡くした=自分に生きる資格がないなんて、

 

上滑りのエゴだったこと、ないものねだりの贅沢病だったことも、痛みと共に理解した。

 

「自分を愛して」「自分を許そう」と、啓発本を読み勉強会に出て、セラピーやカウンセリングに通い、それでも何かフワフワしてた20数年も、無駄だったとは思わない。ヨガが最後の切り札だと思ってたから、インドにも来れたし。

 

私のトラウマは、当時の必要悪だった。

 

私を慰め、私にいつも寄り添ってくれた。

 

 

それが分かった今は、ただ感謝してお別れしたい。これからは、自分の価値は自分で作る自由の身。

 

どんな自分でも許されてると、やっと分かったんだ。

そしたら、パートナーもようやく隣に来てくれた。

あっけらかんと、笑っている人で。笑

 

 

何が起きても、ずっと罪人でいる人なんていない。

人は人として、いつでも限りなく豊かに生きられる。

 

どんな失敗をしても終わりじゃない。

これからも、そう信じて生きられると思う。

 

人生で大きな出来事があって、それをきっかけに自分が信じられなくなり、自分を責めてしまったり、他人をジャッジしたり、比べてしまったり。

あるいは原因も分からず不安で生き辛らかったりする時。

 

私たちは神さまから、大事な課題をもらっている。

 

多分、終わりのない課題。

その人だけに与えられる課題。

自分にしか解けない課題。

 

どんな理不尽な困難も、大きな英智へのカギだ。

 

世の中で不幸と呼ばれたり、怖れられたりする出来事の向こう側は、とてつもなく大きくて暖かな世界と繋がっている。

 

本当は何も怖くない。何も罪じゃない。裁かなくても、縛らなくてもいい。

 

破壊の向こう側にしか、創造はないかもしれない。過去からの脱皮って、何かタイムリーに蠍座的テーマでもある。

 

そして私、出生図では蠍座アセンダントだけど、中年期から発動するナバムシャ図では獅子座に変わるらしい。もう過去とか秘密とか罪とかトラウマとか、そういうテーマは卒業かもしれません。

 

強くて明るい獅子座、いいかも。笑


過去・現在・未来(無意識・意識・超意識)。