勝手で孤独で頑固なヤツ | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

子宮腺筋症・内膜症・筋腫持ちの私。

 

ざっくり言うと、閉経するまでは治らない。私の場合はホルモン治療するしかなく、薬が合わなければ下腹部の劇痛、大量出血、貧血、疲れやすさ、落ち込み等が続く。薬が合っても長期服用の副作用で、疼痛や骨粗鬆症、うつ病や乳がんのリスク。

 

悪化すれば、手術も。

 

 

長いお付き合いの病気たち、2009年から治療を始めてもう10年。

 

薬を飲み続けても少しずつ進行し、体調のアップダウンは激しく、常に不安がある状態。

 

天候に左右されたり、疲れるのはダメだけど、基本的にいつどう出るかは予測できず。たまには健康そのものの日もある。

 

頑張りたい時に頑張れないのが

いちばんショゲる。

 

 

でも毎年夏の1ヶ月間、研修に同行するお仕事があり、この時ばかりは一層の気合を入れて臨む。薬も漢方薬もサプリも万全。

 

 

不思議と気が張ってる時は自律神経で乗り切れるため、職場では体調の悪さを見せた事がない。ただ、仕事の前後は恒例で倒れる。

 

 

インドで暮らしている間も、日本からの薬とたまの通院で何とか生きていた。でも、仕事や所用以外で出かけるのは怖い。レジャーだと、気の緩みからか症状が出やすい。

 

夫はなるべく私を外に連れ出したいようで、おかげで元気にバドミントンまで出来た日もあったけど、半分以上は血の気が引いてお開きになる。

 

家にいて家事をするのも、段々苦痛になって行った。最初は冷蔵庫や洗濯機がなくても、台所がトイレが遠くても何とかやれてたのに、夜中に倒れて入院・手術をしてからは色々怖くなってしまった。

 

それで取り憑かれたように便利の良いアパートを探してたけど、ここに来て本気で住宅事情が良くないことを思い知り、万事休すの状態。特に家族や親しい人からは、

 

 

頑張って治そう、とか言われるけど、

 

治療しても治らない病気があるって、

 

家族にも夫にも、実感としては理解されない。体調が悪くなる度に同じことを言われる。治らない?と。

 

今は、治らない。

まだ、治らない。

 

色々試して、治療して、

もう10年。。。

 

 

人に言っても理解されない事の方が多く、また、たまに症状の出る病気だなんて言い訳がましく自分からは言いたくなくて、せいぜい職場で説明責任を果たすだけになって行った。

 

辛さは分かってもらえなくても

せめて似た 境遇を過ごす人と

共感出来たらいいなと思ったり。

 

それでなくても 抑えられずに書いてます。笑

 


姪っ子が作ってくれた花束✨



昨日の夕方、夫からのメッセンジャーコール。久しぶりに話したら「何時に空港に迎えに行く?」とか、「こっち(インド)でアーユルヴェーダのドクターを見つけてあげるよ」とか、「PGI(大学病院)に行ってみよう」とか、良かれと思って色々言ってくれる。

 

(この前は「日本でちゃんと治療しておいで。僕のこともチャンディガールのことも、何も心配しなくていいから」って言ってくれたのに。笑)

 

 

アーユルヴェーダで長期的な体質改善をしながら、またこの病気と付き合い続けるなんて、今の私に出来るんだろうか?貧血頭は、ノーと言う。

 

PGIはチャンディガールで有名な大学病院だけど、私にはトラウマの場所。3回目の流産で麻酔なしで掻爬手術を2回も受けた。インドの国立病院の医療は、私には耐え難いと体感した場所だ。

 

国立よりは格段に環境の良い私立のフォルティス病院にも通ったけれど、私に合う薬が1つも見つからなかったのが現状。

 

 

「やっぱり日本で治療するかも」と言うと、

夫はすまなそうに「ごめんね」と言う。

 

あなたのせいじゃないよ。インドのせいでもない。私のせいでも笑。ただ病気なだけ。

 

ずーっと私の一部の病気。

 

夫は悲しそうだった。

 

帰って来れないかもなんて。

 

「待ってるから。。」って、

心細そうだ。

 

 

病気でいることで、人を傷つけたり、人の期待を裏切ったり、悲しい約束しか出来ないのは、もう嫌だ。

 

病気は私の勝手だったかもしれない。

 

一人で勝手な生き方をした証。

 

やっぱり子供が欲しかったから

来てくれない子を待ち過ぎたし、

 

仕事も辞めたくなかったから

見栄を張って無理ばかりした。

 

 

でもやっぱり

一人で勝手になんて生きられない。

 

病気は私に限界を突きつける。

 

どんな気持ちで毎日を生きたいのか。

そんなことさえ忘れかけてる10年目。

 


優しくてしなやかだった私の女性らしさは

頑ななエゴの塊になったのかもしれない。

 

涙は止まらず喉は苦しい。

 

もっと開いて、緩めて、素直になって。

開かないとこじ開けられるよ、と。

 

これが私の「治癒」の始まりだといい。

 

もう、逆らわずにいられますように。



でもこの笑顔に会えないのは、ちょっと寂しい。