インドの三丁目は朝っぱらから騒々しい。
毎日毎日、夜中過ぎまでうるっさ!
先週は私、ひょっとして騒音ノイローゼ?になりかけてるんじゃないかと思い、色々調べちゃった。でも分かったことは、私の耳がオカシイんじゃなくて、やっぱこの町がウルッサイってこと。
5AM:
ガーガー言うトラクターが爆音で最新のバンジャービ・ミュージックをかき鳴らしながら畑仕事に向かう。
小さな小売店に朝一で牛乳やヨーグルトを卸すグルグル言うトラックが、クラクション鳴らしながら行き交う。
6AM:
物乞いのババが大声でアールティ歌いながら、しつこく人の家の前でねばる。
肉体労働の労働者が、これまた大声で話しながら集合場所に向かう。
7AM:
通学のためのオートリキシャとスクールバスがエンジン音とクラクションを響かせて続々と集まる。
学校に行きたくないちびっ子の叫び声とそれを怒号する保護者の修羅場が延々と繰り広げられる。
8AM:
乳飲み子やしょんぼりした幼児を連れた物乞いのおばさん、物悲しい声でいかに貧しく困窮していてお腹が空いているかを、結構なボリュームで叫びながら練り歩く。
9AM:
無駄に声の大きい野菜売りのリヤカーが、安さと品揃えをアピールして特徴ある呼び声で競い合う。
それをアパートの上階のベランダや、至る所から呼び止めてそのまま大声で値段交渉するおじさんおばさんの声が響く。
10AM:
出勤ラッシュ。狭い道に縦列駐車した車が出られずに、クラクションをかき鳴らす。前後の車の持ち主を知ってるだろうに、電話するとかはない。
仕事に行くお父さんに「パパァー!ウギャー」と延々と泣き叫ぶ未就学児たち。
夫のポンコツバイクがブンブーンとエンジンをふかす音。調子悪いんならいい加減直してよ。
昼間はあちこちから工事の騒音。建材を積んだトラックがギリギリの幅で行き交う音。普段から向かいの家同士ででっかい声で話すおばさんたち。暑いから網戸だけ閉めて大音量でテレビや音楽を流してる人々。電話で話すのさえも、みんな一様に叫んでるから道路向かいの上階のオッサンの声まで聞こえる。
これで暑くなって来たらサトウキビジュース売りのエンジン音やアイスクリーム屋のベル音、祭日には移動式寺院の爆音サイババ音楽も加わる。
早朝4時と夕方6時にグルドワラから流れるお祈りなんて、最近は気づかないくらい。
デシベル数で測って比較してみたい。
騒音公害レベル振り切れるで。
音ってもっと、心地良いものだったはず。
日本の家ではスズメやカッコーのさえずりで目が覚めたり、昔はお豆腐屋さんや古紙回収の控えめなアナウンス、夕方の焼き芋屋さんの汽笛なんて情緒さえ感じたのに。
バイブレーションって言うんだろうか。
日々の波動が荒削りで肌に痛い。
何か集中して作業をしたくても、その意志さえもかき消されるように感じる。料理をしても洗濯しても気もそぞろ。もっとやりたくても、この辺でいいやとなってる。
私の肌感覚と、この環境のズレは激しい。
常に挑まれているような
いつも戦っているような消耗がある。
それは音だけじゃなく、人もそうなのかとも思う。
外界の波長にフォーカスを合わせていると、いちいち摩擦を感じるので、やっぱ自分の事に集中するしかない。ウルさいからと言って逐一イライラしたり、もっと静かにしてよと批判したりすると、確実に参ってしまうから。
ここは、こういう土地柄だ。
ずっと続いてきた流れの中で、こういう暮らしが根付いている。
私は、楽しめる音が好きだ。
ずっとそうして生きて来て、変えるつもりもないのだから。
夏と冬では音の響き方が違っていて、今は特に気になる時期でもある。3年目で慣れたのは、この音との付き合い方かもしれない。人との付き合い方も、大分洗礼を受けたように。
国立病院の壁にもスローガンの様に「Mind your own business.」と掲げられる北インド。渦巻く利害に関わる余地などない厳しさがある。中途半端でヤワな優しさや同情なんて要らないほどに、ここでは皆がサバイバルモードだと感じる。
同郷や身内や家族の絆が強いのも、身を守る術だろうか。
家の中が唯一ほっと出来る場所だとしても、守らなくては得られない安らぎでもある。
私も色々な術を覚えた。
いたずらっ子は、見て見ぬフリをしないで叱ること。近所の子と気軽に遊ぶと、親が期待して目を離し過ぎるので、あまり遊ばなくなったし。毎日ウチのベランダで日向ぼっこしてるアンティーにはどけてもらった。興味のない世間話を延々としに来るご近所さんには話しかけなくなった。前は大家さんの家族に会う度に丁寧に挨拶することにしてたけど、いわれのない事を言うスキを狙ってくるので止めにした。
今は行事の時や節目にだけ挨拶に回ることにしてる。
去年の今頃は、流産した国立病院を退院した記事を書いてたっけ。
あの時の辛さ、同室だった女性たちの優しさを思うと、周りの人と心を通わせることへの希望は失わないでいようと思う。
本来の私とは違う、仮の姿で生きる術の数々。
身を守ってくれていると思うと、それ程辛くもなくなってきた。風習も考え方も異なる場所に来て、ワガママに振舞うことで不利になることもある。日本で週末旅行に出かける時みたいに、天真爛漫な自由な気分は懐かしいけど、それは日本で出来るから大丈夫!笑
私が見た事もない理不尽さの中で生まれ育ち、空気みたいな不都合さを呼吸して代々生きてきた夫の元に嫁いだんだなぁと思う。
何年経っても日本人の私。ナイーブで夢想家で無邪気な部分は消えないだろう。ちっともインド人みたいに逞しく生き抜けない私に、夫はいつになったら愛想を尽かすのかと思ったけど、どんなに悩みを八つ当たりしても、ずっとここに帰って来る。
騒々しいインドの下町のど真ん中で、私たちが守って行くものは、この小さな部屋だけじゃないのだろう。
どんなに戦い疲れても、ここにはお互いを気遣う思いやりがあって、繊細な喜びや優しさがあって、心癒される美しいものが充ちているといいなと思う。この場所から、心の中からしか何事も変えられないのだから。
さぁ、暑いけど掃除でもしますか。