ええ。精神論です。
キレイ事ですとも。。。
でも、、、
何もかもアベコベに違ってて、何事もスムースには運ばず、それ程報われず、時に謂われのない「理不尽」な出来事に見舞われ、慣れ親しんだ人たちも側にはおらず、お気に入りだった商品も手に入らない。そんな場所は、
「信じる力を鍛える」のに
絶好のチャンス。と思う。
いや、思いたいだけか(笑)。
これが自分で選んだ人生。たとえ期待外れ、的ハズレ、見当違い、こんなハズでは!?な事だらけでも、この旅を楽しむ以上の策はない。
私って人は大概が見切り発車で進んでるので、障害が訪れて当然かもとも思う。私たちは好きなこと、惹かれるものやワクワクを追いかける中で、見た事のない世界に足を踏み入れることがある。怖くて当然。ストレスが出ても自然なこと。
心身の健康を守るために思い切って距離を置いたり、それまでとは人が代わった様に強く主張を通したり、見た事のない「自分」と出会ってドギマギしてしまう。
信じることは、難しい。
諦めてしまって、まぁこんなものよと平気なフリしてだって何年かは持つし、周りのせいにすれば一時的にスッキリもするし。でも、それではどんどん、人生がつまらなくなってしまう。結局は、行き詰まってしまう。
環境を変えても、目標を変えても、どんなにキラキラの場所で、どんな素晴らしい仲間に恵まれても、結婚しても、昇進しても、自分を置いてきぼりにしたままでは、自分の人生のコマは進まない。それでも、時間だけは止まってはくれない笑。
年齢や経験を重ねることって、
色んな危うさも秘めてる。。。
これ、ここ数年の実感(笑)。老いや病を感じない健康な日々でも、自分が経験したことのある範囲内で、堅実に、確実に、常識的?にあろうとすればする程、自ら築いた小さな現実の中に、生きて出来ることの可能性を封印して行くようで。
そんな小さく封印した世界はもう、飽和状態な気がする。自分たちだけの正義や価値観、利害や、常識で固められた世界では、お互いを指差し合うしか、やり方を持たないのだから。
思えば日本では、溢れる情報やそれに習った生き方が、どんどん出来なくなってくことが怖かった。私は私で大丈夫!って、既存の価値観では証明出来ず、自分に問うしかないって感じた。
ヨガをしに、インドに行く。
毎日続けて、資格を取る!
とにかく、やりたい事を悔いなくやって生きることにした。本当に嫌な事は全部やめた!笑。不安はあったけど、仕事も好きなものだけ続けた。
今思えば、私の心は、海外移住したかったわけでも、国際結婚したかったわけでも、ヨガを教える意志があったわけでもなく、
私を置いてきぼりにして生きて行くことが、もう出来なくなってた。
自分を信じること。
私の人生を生きること。
それは、この地に移り住んだ今も簡単なことじゃない。異文化な価値観と、多数決の正義に押し潰されないように、ただただ耐え忍んでいる時もある。
嫌でも新たなやり方に譲歩しなくてはならない時もあるし、でも逆に、やってみたら合理的で慣じんで来てしまった習慣も笑。
インドでは一見、
不衛生、非効率、時代遅れ、怠けてる?余計なお世話、能天気、受動的、迷惑、
等々なことが溢れてる。
しかもインドに住むことの「良さ」は何故にか説明しにくい笑。分かりづらいの。それは、直接的と言うより「二次的」で、どちらかと言うと「精神的」なメリットだから(私的な見解です)。
私は、モノも便利も情報も飽和状態の自分をやめて、すっごく不便なインドに来て、結局は良かったと思う。
(中年クライシスなど問答無用で、未知のサバイバルに挑戦できるから、ではなく笑。)
毎日
色々な人たちが
色々な事をおっしゃっても
やっちゃっても
何がなくても
逆に、何かが失くなっても笑
この場所だから、この人たちだから、笑って許せる気がしてる。
逆に私も、笑って許されてるんだって。
怖い。
でも怖れながら生きていたくない。
嫌い。
でも知らないだけかもしれない。
出来ない。
だって、やった事がないだけ。
そうやって、日々を重ねてみたら、怖かったこの町が懐かしい風景になり、嫌だったインド料理を毎日作るようになって、出来っこなかったヒンディー語も、カタコトで間違いだらけの冗談にすることを覚えた。
あんなに避けてた人からの視線も、あのおじちゃん、あのお兄ちゃんみたいな顔つきを見る毎に、ああ、ただ珍しいだけで他意はないと、悪意のないものを見分けられるようになった(本当に嫌な時は許さんゾ)。
周りにオープンでいながら、変容し続けて価値観を変革しながら、3食カレー食べながら笑、それでも自分らしくあるって、出来るの?
そう思ってた。
自分を信じるって難しい。でも、不思議と結果裏切られることはない。それは自分の選んだ人生に責任を持つことだから。無理することもないし、何を辞めてもいいし、楽しく幸せに生きるだけ。
悩んだ分だけ、勇気を出して変われた分だけ、必ず生きる実感になって帰ってくる。
疑ったり、怖かったり、周りのせいにしたり、夫にあたったり、この世の中の誰も信じられなる日もいっぱい、いっぱいあるけど。
この先くじけそうになっても、心の声を信じること、生きたいように生きること(笑)だけは、譲らずにいたい。