シンプルで慎ましい毎日。ささやかな幸せ。
そんな分かりやすいものに憧れてきたと思う。
物が溢れなくても豊かさを感じられること。
情報に頼らなくても必要なものを得る力。
五感を澄ませて感じる無限の豊かさ、
直感を磨いて無駄をはぶくこと。
。。。
でも今は、ずっと手前で行き止まってる。
「無駄なもの」は本当はないし、
「不要な経験」も存在しない。
それが府に落ちるまで、憧れは続くのだろう。
昨日は少し、はっとする出来事があった。夕方、夫から「ヤキモチ」メッセージが来たこと。。私が「誰か話し相手がほしいな~」と言ったら、『誰か』の意味を誤解したみたいで、
「じゃぁ日本に帰って、好きにすれば。」と(汗)
いつも温和な態度の彼にしてはめずらしい反応。で、私の一時帰国まで3週間を切ってることもあり、むしろ何もないかの様に明るく振舞ってくれてたのが、気を使って、ちょっと「無理」してくれてたのかもと思い当たった。
色々ガマンしてたら、出て来ちゃうもんね。もちろん私の言葉足らずだったのだけど。
(『あなたと』話がしたいって意味だった。)それで夫の帰宅後、ゆっくり話す時間を作ってもらって、誤解も解けたし良かったんだけど。。。
あの時一瞬、ドキっとした自分がいた。
私が「他の誰か」と話したいを勘違いした夫は、他にも
「どうせここにいても面白くないんでしょ」「僕と一緒にいても体調が悪くなるばかり」「どうしていつも心配ばかりかけるの?」と、普段絶対口にしない事を続けざまに言っていた。
ええー、そんなことないよー、って返してたんだけど。。。
多分、それが本当の本音のところかも、、、
「目的を」達成せずに弱音を吐いちゃいけないから、言えずにいる気持ち。「夫を」傷つけてはいけないから、見てみぬ振りに慣れっこになって行った本音。何を優先させようとも、「自分の気持ちを」無視しているのは結局、こうやって露呈する。夫も傷ついてるし、私も、そして目的(インドで生活基盤を造るという)も、グダグダになりかけてる。
更には「一時帰国」に心を奪われているせいか、夫も毎晩クリケット中継に没頭し始め、向き合ってコミュニケーションを取ることは後回しに。
「ささやかな幸せ」や「普通の家庭」が欲しかったとしても、それは「不屈の精神力」と「甚大なる努力」の上に築かれた、氷山の一角だってこと、何となく感づいて来た。。。
私が「誰か」と話をしたがってると誤解されても、誤解を解けば済む話だけれど、「いつも僕を心配させている」、「つまらなくて病気になっちゃうんじゃないか」っていう所に一番ドキっとしている自分がいる。
基本、毎日一人で過ごしても平気だと思ってきたし、「構ってちゃん」ではないと断言できたはずなのに、ひょっとして、「無意識」でやっちゃってるのでは?という疑念がムクムク。
人を心配させる趣味はないはず。。。ん。。。?
いや、思い当たってしまった、これが。私、本当はかなり困った部類の「構ってちゃん」を無意識で演じていたことに。。。!!
それも、潜在意識のかなり深い所で、深刻な事態になりかねない奴を。汗
「自分の感覚を最優先させること」を、
一瞬一瞬、偽りなく積み上げること。
それを、少しずつ怠ってきたことが、
この前の出血多量、緊急手術になった。
今振り返ると何の余裕もなかったな。
出血が酷く、危ない状態だった。
3度目の流産が分かって処置をして自宅で流産したのだけれど、ショックもあって次の受診が遅れていた。病院を変えたかったのもあり、夫の休みが取れるまで、と時間をかけすぎてしまい、不完全流産に気付かなかった。
。。なんて、命がなければ言い訳もできない。
色々と余裕のない生活。シンプルライフは遠のくばかり。。。だけど、一つずつ気付いて学んで、一ずつ変えて行くしかない。
常に自分のニーズは最優先していいし、
少しでも余裕のある基盤を作ることは必須。
ずっと自分の心の声に耳を澄まして
ずっと変わらず応え続けて行くこと。
だってサバイバルゲームだけでは
まだまだこの命を終えたくない。
本当に、私しかいないんだ
この現実を作っているのは。。。