夫と庶民と慈愛のこと | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

インド人の半数以上が、月収3万円以下で暮らしていると聞いたことがある。私が2016年にインドに来た当時、大手プロバイダーの出現で、高速インターネットが急速に普及し始めた。月収3万円でも何とか手の届く低価格で、それまで考えられなかった農村でも電波が入る。インドの消費生活がまた一段階、変わろうとしているのを感じる。

 

「庶民」にはまだ、収入の変化は感じられないだろう。どこまでを庶民と呼ぶかは曖昧だけど、先ほどの平均的な月収でサバイバルしている大多数の層。貧困人口も莫大なので、「平均的」な人なんて多くないのかもしれないけど。

 

先進国で言うところの「ワーキングプアー」とも重なる。年収が少なければ税金を支払う義務もなく、インドの狭い社会福祉の対象にもならない層。地方出身者で、都市部に出てサービス業に雇われている人たち等。大卒でも、ずっとお給料が上がらない人もいるという。

 


市場の店員さんたちは、暇な時は暇だ。日本の店員さんたちも暇はあるけど、ここぞとばかりにお掃除したり、営業したり、何かしら戦略を練って次への一手を打っていて、かえって気忙しい。私もバイト時代はそんなだった。インドでは商売が暇な時、店員さんはチャイ飲んで、談笑してる。オーナーでもなければ、日本ほど先の事を気に病む人もいないと思う(大都市とか繁盛店は別かな)。

 

うちの夫が、その口だ。商品も仕入れられないパソコン店、お客さんが来ても帰ってしまう(笑)。名刺交換とかネットワーク作りは盛んにしてて、町中に「知り合い」が増えて行く。何かの時に都合してもらおうという、助け合いの精神がすごい。店内の掃除は「お掃除の人」がいるから、しない。お茶も「チャイの人」がいるから、勝手に出てくる。暇な時は新型のデモ用ノートブックで、ゲームしてるか映画見てるか、クリケット見てるか。

 

そんな「自堕落な」と、日本人としては?思っていた。「バチ」が当たるんじゃないかと。でも市場に買い物に行っても、お茶に行っても、よく見るとこの町、「バチが当たってる人」だらけ笑。そして、何か皆仲が良く、楽しそうでもある。店の前で並んで人間観察してる店員さんたちもいる(めっちゃ入りづらい)。月曜だろうが週末だろうが、公園の木陰には昼寝をする大人は必ずいるし。

 

彼らが自堕落で罰当たりなんだとしたら、インドの半数が堕落してるってことになる。必然的に、自分のロジックの可笑しさに気付く。ふと日本のスタンダードで育ち生きてきた、このガチガチの価値観を思った。そんなに頑張らなくても、地球上の半数は笑って生きてる。貧困とか紛争とか病とかの困難が必ずあるから、わざわざ心配もしないのだろうか。

 

人が取らなくてもマンゴーは実るのかなぁ。。自然の豊かさは人間の物差しで測れる?


日本では時間単位で生きていた気がする。バイトから正社員になっても、残業とかシフト管理とか。非正規雇用、臨時職員、非常勤、派遣、色んな名前の切り売りがある。身を削る中でも競争もある。インド人みたいに小銭を貸し借りしたり、お互いに助け合うのなんて、日本では「だらしなくて管理能力のない人」とか言われるのがオチだった。「依存」は悪だと。何でも「自立」「自己責任」「お一人さま」って、一人よがりの方向への流れが強い。

 

今回私が急に入院することになった時、痛いとか辛いとかもあったけど、心の負担の半分は、夫が会社を休んでずっと付き添ってくれることだった。夫はそんなこと大丈夫だし、それより私の健康が大事だと言ってくれたけど、それは正論でしょ?とまだ思っていた。私の取り越し苦労をよそに、会社の方々は2日間のお休みを快くくれ、その後の1週間も、夫を毎日昼食を届けに家に帰らせてくれた。

 


自分の「ネガティブ思考」の正体に、大きく気付かされてつつもあった。~ねばならない、~しないと~になる、~したら~ダメだ。そういう「条件付け」が、私の中に多すぎた。お弁当箱に納まるような日本の生活でそれらは有効でも、インドでは小っさすぎるのだ。もっと大きく構えて、、、いや、自分史上最大限に自分を解放して行かないと、やって行けなくなると思った。国立病院の手術台で、何かがロック解除した。笑

 

単純に「インドの人は暇で気楽よね」という話ではない。こうも病院にお世話になることが多いと、ようやく気が付いたか?と何度も言われてるようだ。病棟でもそうだったけど、インドの村の人たちはとにかく助け合う。そうしないと生きていけないのだろうと思う一方、私が今まであまり感じたことのない心の触れ合いを通じて、何かが呼び覚まされていた。

 

人間ってこんなに弱くてもいいんだ、と。こんなに無力でも、助けてもらえること。外国人でも、お金がなくても。何もできなくても愛されること。生きていてもいいんだ、と。夫の寛大さ。言葉も文化も人種も服装も違うけど、私を気にかけてくれた病棟の女性たちの、愛と慈悲と心の広さ。

 

~なければならない、~しなければ~になる、っていう条件付けの中に生きていたら、そういう慈愛はとっさには出ないだろう。私がインド庶民の夫との生活で、手も足も出ない気がしているのは、そんな所に答えがあったのかもしれない。価値観の違いからの衝突で、近所付き合いもままならなくなり、外出も好んではしない。

 

そんな私は、病院で出会ったインド女性たちのような、無条件の愛や親切とはほど遠い。巡り巡って支えあう輪の中から、切り離されている。仕事を紹介されても(ビザがない・微々たる報酬で)断わらざるを得なかったし、結婚式やお呼ばれをしても、気疲れしたり、考えるだけで調子が悪くて行けなかったり。海外居住者の社会不適応って、まさにこのこと。

 


でも私にも、少しずつ見えて来ているんだと思う。美化しているのかもしれないし、物事には両極がつきものだけど、それでも、温かい人たちがいること。生まれ育った親兄弟よりも、自然に愛をくれること。日本では知らなかった「暇」が持て余せること笑。タライで洗濯したり、繕い物をする愛のこと。私がどんなに具合が悪くても、グレてても、顔洗ってなくても、変わらず愛してくれる人がいること。心配してもしなくても、その時になってみないと分かんないっていうこと。

 

北インドに暮らして2年目。何もできなかったけど、心にいっぱいの宝物をもらった。だからガラクタで溢れ返ってた自分を整理して、沢山の鍵を外して行こうと思う。もっと大きく、空っぽになろうと思う。一時帰国&ヴィパッサナー瞑想まで、あと一ヵ月半。