「自分軸の再構築」⑤ - 現在の視点で振り返る | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

最近やけに書き始めたブログですが

「自分軸」を見直して、設定し直すという

心理的な作業を中心に実践しています。

 

そのやり方も自分の知識・経験値のまま、

やりたい方法・習った方法を採用していくだけ。

 

以前習った認知行動療法と、

心療内科での経験や心理学の書籍からの知識、

アダルトチルドレンや機能不全家庭の概念、

 

うつ、パニック障害、DV、共依存などの過去から

少しでも良くなるためにやってきた様々な方法で、

今も実践している事を書いています。

 

過去の傷を癒すための具体的な方法を探る中、

きっとその頃はまだ無意識だったけれど、

インドにヨガをしに来たいと思い、

来てみて1年ちょっとが過ぎました。

 

言葉にはならなくても感じてきたこと、

インドで暮らすことで影響を受けてきた

ヨガや占星学などに基づく世界の見方が

少しずつ形になり

言葉にできるようになってきました。

 

 

今日は続きのワークでもあるのですが、

自分の中の否定感情と向きあった後で

「改めて自分の来た道を振りかえる」、

 

という作業をしています。

 

ただ回想するのでも良いですが、

今後の自分のために

書いて残しておくと面白いと思います。

 

トラウマとして残っていたような、

自分の中の否定感情を

「しっかりと」見ることで、

自分の「本当に生きたい道」が

見えはじめたら、

 

もう過去も現在も未来も、

否定的に見ることが

「回り道」に思えてくるかもしれません。

 

そんな事を願いながら

ちょっと振り替えってみています。

 

何が自分にとって大切で、

何が自分にとってキツイことで

何を見て現在の自分でいるのか。

 

自分のここまでの物語の序章を

今の目線で書いてみます。

 

その物語が何かまだ新鮮で

今と繋がってワクワクできていたら

過去の悲しい物語が

新しい意味を持って書き換わってきていて

 

トラウマのためのワークは完了して

次は未来を創る段階に入れるのだと

希望を持ちたいものです。

 

人生を始めたいなぁという

欲でしょうか、何でしょうか。

 

 

「ワーク⑤現在の視点での振り返り」

 

 

命というのは、

人間と神さまの共同作業。

 

最近はそんな風に思えてきた。

インドに来て結婚したり流産したり

ヨガやインドの慣習に触れたりする中で

 

個人という私の小っぽけさや

同じ教えを何世代も何十億人も

受け継いできたインドの大きさを感じる。

 

できれば私も変わりたいと思った。

 

 

人は自分の力で変わることができる。

命がある限り、どんな苦境に立たされても

人は自分の道を選択する力を

神仏から与えられている。

 

 

仏教や他の宗教の教えに触れる時

私の心に響くのはそんなメッセージ。

 

同時にとても怖いことでもある。

間違えて使ってはいけない力を

人間は持ち合わせている

ということ。

 

 

現代は仏さまたちが

何を本当に言っていたのか、

よく分からなくなってる時代。

 

 

日本は、

人間の都合に合わせる技術で、

自然の都合に合わせる知恵を

 

忘れかけて走っていって

ひとり相撲の駆けっこに夢中。

 

 

楽しいよ、楽しいんだけど

 

絆の形ってものが

変わりすぎちゃって

 

絆が目に見えなくなってった。

 

 

仕事をするのも愛

お金を使うのも愛

家にいなくても愛せる

そばにいなくても

 

時間も余裕もなくても

ちゃんと愛せるのか?

純粋に疑問なのだけど。

 

私たちは

生きるべき時代を生きていて

この時代にしかるべき葛藤があり

前の前のもっと前の時代のカルマも

浄化しようと思えば

できる時代になったので、

 

 

いわゆる「引き寄せ」とかがあって、

単純解釈し過ぎかもだけど、

意思の力だけで

何もしなくても

状況が変わるって言うのが

危ない使われ方をしてる気がする。

 

 

人間も自然も「陰」と「陽」を持つ。

心の作用も同じこと。

光もあるけど、影も必ずあって

 

見えない、見たくない、って

やればやる程

そういう結果になって行く。

 

ヨガでも呼吸や筋肉で

バランスを取ってポーズに行き着くし、

ずっとイケイケでやっている西洋の

エクササイズ的なヨガも

基本から言うとヨガじゃない

って

 

でもヨガが世界に広まったのは

そういう側面が受け入れられたから

でもあり、

議論の尽きない所でしょうが。

 

 

ヨガは「統合」を意味して

ハタは「陰陽」を意味していて

 

「陰」と「陽」のバランスを取って

生きるのがヨガの道ということになる。

 

人間にとって

最も効率的な生き方というような

理知的な捕らえ方をするグルも

最近は世界からの信頼も得てきている。

でも「引き寄せ」と違うのは

神の教えがはっきりしてること。

 

インドの人たちもやっぱり

ヒンドゥーの神々の物語が、

「本当は何を意味していたのか」

よく分からなくなってると思う。

 

言葉ももうサンスクリットじゃないし。

それでもまだ日本と比べると

教えを守って生活する人が大多数。

 

その行為の意味は知らなくても、

祭事を行う毎に伝わって行く。

歌に神の人間への祈りが

込められている。

 

だから、分かっている人も多いし

そうでない人も増えていて

それはグローバル経済の波に

飲みこまれかけてるから。

 

それはそれで素晴らしいんだけど

何か日本とは違った道を見たいと言うか、

インドの良さを

これからももっと見てみたい。

 

 

インドは貧しい的なイメージを

私も普通に?持っていたのだけど、

 

人を表面ではかっているのは

ただの小っぽけな自分の物差しで、

 

ニュースにはならない個人レベルでは

その懐の深さに気付かされるような

日常の人々の生活があるって

たまに少しだけ垣間見ることもある。

 

経済大国とは対照的な部分が、

インドの良さとして目に映るだけ、

それだけかもしれない。

 

もしかしたら単に、

インド人の彼に惚れたから、って

それだけだったとしても

それはそれでいいや(笑)

 

 

自分のエゴと言うか

あれがしたい、これが欲しいっていう

進化する力は素晴らしいんだけど

 

人間は神さまの創造物っていう前提が

 

インドでは当たり前のことでも

先進国では当たり前じゃない。

バリだってタイだって

アジアの大部分が知っているのに。

 

日本でも当たり前だったことを

もう一度とり戻すというのは

そんなに悪いことでもない

と思えてきてしまう。

 

 

戦争や商売の口実に日本は

神さまの力を使い始めてしまって

むごい侵略をしてしまったし

戦争の歴史上かつて他のどの国もないのに

日本に原爆が落ちました。

 

落とした方はどんな感じ?とも思うけど。

どういう感覚のアンバランスの結果、

そこまでの力で脅せるのか。

 

アメリカの地に数年住んだ時は

犠牲にしてきた人たちの

叫びが聞こえるような気がした。

ネイティブアメリカンの人たちは

北西海岸の大自然のもっと奥の

居住区と呼ばれる僻地に暮らしてた。

 

行く途中、ある地点からはラジオも入らない。

灯りもない。

真っ暗な中で大型の鹿エルクや

オオカミのような遠吠えを聞いた。

 

日の入り後の入り江で

小さなカヌーの漁の灯りだけが

 

あの灯はランプだったのか

松明だったのかは見えなかったけど

 

紺色に赤みの差した夕やけの水面に

闇とともに青白い灯が浮かんだ。

 

人口の灯りなどない世界だけど

人の暮らしが美しく息づいてた。

 

 

白人の築いた都市では

光の部分も沢山あるんだろうけど

闇もいっぱいあった。

そういうのを横から見ていると

これは違うなー

日本人ならこうはしないだろうって

お節介なこと思ったり。

 

でも、日本もちょっと似てきたよね。

 

自分たちの良さを忘れてるか、

勘違いしてるように思ったり。

 

勇ましく刀を振り回すサムライもいいけど、

この248年ほど戦国時代みたいだったけど

占星学でも、冥王星が水瓶座に入る

価値観の変革の時代がやって来るので

 

心のこと、

闇の部分、

「陰」の部分の

持つ力に目覚めて行くと言うか

 

心の犠牲を強いられることのない

そういう流れに乗ってほしい。

 

もう歴史的に悪者になりたくないわ。

ただでさえ侵略戦争で悪名高いのに。

 

 

もし自分の意思で人生が創造できる

のだとしたら

 

少なくとも

そういう日本はヤだなって思う。

 

東北で大地震が起きた2011年から

本当に日本は大丈夫なのかな?って

思うことがいっぱいあって

 

日本っていう国に今は

そんなにいたくないかもって感じた。

故郷も家族も大好きだけど。

日本を捨てるってことは不可能だけど

もっと離れてみないと

まだ私には見えないとも思った。

 

 

インドもね、ヤなこといっぱいですが、

嫌なことの質が違うような。。

今のところ私は

虫とかホコリとか物がすぐ壊れるとか

そういうシンプルな問題しかなくて。

 

むだにややこしく考える性格が

カラカラと静かに壊れてって

常に内心、戸惑ってる感じ。

 

やるべきことをやれば

無駄はないという

 

一見貧しいだけに見える人たちも

人としての幸せを感じていて

うらやましいような、

でもそう思うことはいけなくて、

ない物ねだりだっていう感覚が

残っていた時期もあったけど

 

夫を見ていると、

あぁ、この人がしていることは

私にもできるかもしれないんだー

って

彼の良さは色々あるけれど

人に対する寛容さと言うのかは、

インド人が日本人を越えてる部分?と

個人的にはいつも彼には

自分を反省させられます()

 

お互いの良さが出せればいいので、

私も結構変わらなくちゃって

試行錯誤してばかりいる。

 

それでも楽しいと思える。

新しい価値観が持てて良かった。

退屈しなくて済むから。

 

もう、鬱やトラウマの無気力や

麻痺に近いブルーな感覚は

乗り越えられたかな?

 

もし、また次に何かが起こった時、

正しい選択ができる人になりたい。

 

その前に、起こらなくてもいいわ、もう(笑)

 
どくしゃになってね!