手術経過と心境の変化 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

人生で2度目の流産でした。

 

前回もインドで進行流産になり、病院で服薬処置の後、自宅で完全流産しました。今回は9週目で赤ちゃんの心拍が停止してしまいました。

 

日本のように不妊治療は一般的とは言えないインド。その中で出来る限りを尽くしたつもりでした。設備の整った病院を探し、意思の疎通がはかれるドクターを見つけたと喜んでいました。それでも日本の一般的な病院とは投薬の種類はもちろん、治療手順の細かい違いがあります。

 

里帰り出産を考えていた事もあり、時間をかけて継続可能な治療について調べていたので、対応が後手に回っていたのではないか。本当に良かったのかつい考えてしまう。

 

私たちの元に2度も来てくれた赤ちゃん。それが何故また還って行ったのか。私も魂レベルでは納得して受け入れつつあります。沢山の課題と試練がありました。1日乗り越える度にそれまでより強くなりました。知らなかった愛おしさを知りました。今までにない恐れも覚えました。自分たちの都合通りになることばかりではないから、日々謙虚にただ懸命に生きたいと思える様になりました。

 

まだ夢だけは手が届きそうな位、鮮明に思い描く事ができます。今回流産する前と後での大きな心境の変化というと、以前は日本で出産しようと計画していた事。つわりのしんどさもあり、正直インドの今の環境で出産まで堪えられる自信がなかった。里帰り出産して、しばらく経って落ち着いてからインドへ戻るつもりでいた。夫は日本で生活する目処は全くないため、子供のため?の最終決定が、離れ離れに暮らすということでも、仕方のない事だと。

 

彼は、私がそれが最善だと思うのなら協力するから、心配しなくて良いと言ってくれました。でも一瞬とても寂しそうな表情をした様に見えたのですが、私には選択の余地がない様に思えて。彼の気持ちに寄り添う余裕すらもなくしていた。

 

インドと日本で別々に暮らし、新しい仕事が決まっている彼は出産に立ち会えるかも分からない。待っていてくれると言ってくれたけれど、何もかもが霧の中。もし万が一この事で彼と別れることになっても、私はどうやってでも自分でこの子を育てて行くだろうと、ぼんやりと思っていました。

 

そして、今回の流産。全ての夢も計画も白紙に戻りました。手術と経過観察のため一時帰国の予定も変更し、ビザも期限が切れる直前だったため、外国人登録所にて緊急延長の手続きが必要に。(入院や手術等の場合、診断書等を持参して緊急の「医療」延長ビザがもらえます。もとのビザが観光ビザの私の場合、20日間延長で費用は500ルピーでした。)

 

今は気持ちの整理もつき、術後の痛みも大分軽くなりました。毎日毎日、どんな時でも私の味方でいてくれて、私に負担のない様に、身の回りの事を全てこなしてくれる夫を見ていました。そして、私は間違っていたかもしれないと思う様になりました。何が正解かは人それぞれ違うけれど、私にとっては夫よりも大切な存在は他にありません。今まで人生の半ばまで、こんなに強い絆を感じたこともない。どんな時にも信頼し合えて、許し合えて、励まし合っていける、私の分身の様なかけがえのない存在です。

 

彼は私に、人を愛するってどういうことなのかを教えてくれる人の様です。私は思いだけはあっても表現がうまくできず、いつもどうすれば良いのか分からずに後回し。そして今回みたいな絶不調の時には、ちょっと大げさに困ったフリや悲しいフリをして、無意識に相手を操作しようと試み、遠回しに自分の望みを得ようとする悪い癖も出てしまいます。(最近はさすがに途中で気が付いて辞めてます。。)でも彼はシンプル&ストレートに人を愛せる人で、そういう私のワナにもひっからない。

 

この流産がなかったら、本当に独り日本に帰ってたかもしれません。つわりの苦しさから、不便で身寄りもないインドなんてもうまっぴらご免とさえ思っていて、もしかしたら2度と戻って来なかったかもしれない。愛がなくたって、以前の様に日本の便利さの中で暮らして行けたのかもしれない。でも今は、この先どんな困難があったとしても、きっとこの夫と一緒に生きて行くんだろうと思えます。きっと2人で乗り越えられると思えたから。

 

 

今日は手術とその後の経過を自分用に記録します。長文です。苦手な方はスルーして下さい。

 

初めて2人で迎えた彼の誕生日、簡単バナナ・パンケーキでお祝い。来年はもっと頑張るからね。

 

 

6月13日(火) 9週4日

一時帰国を前に、確認のため私設の診療所にて早目のエコー検査。

検査の医師がお腹の上から何度も機械を当て直して確認するが、胎児の心拍が見られず。

 

かかりつけの専門医に電話。直ぐタクシーで病院へ向かう。診察室前で1時間程待たされた後、医師の問診。今回のエコー検査結果、前回の血液検査結果等を提示。念のための経膣エコーでも、胎児の心拍は確認されず。

 

9週を過ぎると、前回(8週での流産)の様に子宮収縮剤を使った処置はできず、「子宮内容除去術」という外科手術が必要との事。今後身体が自然に排出を開始して自然流産に至った場合、身体の負担が大きいので、早めの手術を勧められる。

 

ここで2日後(15日)に一時帰国を予定していた事を話すと、医師の意見が180度方向転換し、「じゃあ取り合えず2日後に飛行機に乗って日本に帰ったら?東京に着いたら何とかしてもらえるでしょ。」と言われ、頭がパニックになり思考停止。希望であればこの病院で手術できる事を再確認し、取り合えず彼と相談してからまた連絡することにして退出。

 

同病院の2階の窓口で、手術と半日入院にかかる費用の見積もりを出してもらう。総額55,000~60,000ルピーとのこと。(実際に終わってみると、この半額程度で請求されました。)インドでは中々の額なので、どこから捻出するか彼とロビーで相談。Fortis Hospitalはインドでは高額請求の病院として有名。腕の良い医師が多いのも有名。彼が調べてくれて、別の私立なら20,000ルピー程度で同じ手術が受けられると分かり、1時間程度悩み呆ける。

 

結論の出ないまま、取り合えずは緊急時のビザ延長手続きのための医師からの診断書をもらうことに。午後5時の医師の退勤直前に再び診察室へ。ミーティング中だったため10分程待った後、手書きのレター様式に医師のスタンプを押した診断書をもらう。(料金は請求されなかった)最後に手術のための麻酔についての検査を受ける。

 

朝から胃が空っぽのままだったので、帰りに彼のオフィス近くで露店でインド風サンドイッチ(名前忘れた)を食べて一息。それから彼がオフィスに戻ると言うので、一緒に行って8時半の閉店までネットを使わせてもらい、帰国の航空券の日程を変更。その後帰宅してまた2人で話し合うも、結論は出ず。

 

6月14日(水)

手術に必要なレントゲンと血液検査等を、朝一で私設の診療所にて受ける(Fortis Hospitalより検査料が格安なため)。

 

その足で市内の警察本部にある外国人登録所(Foreign Registration Office)へ。窓口でパスポートと昨日もらった医師の診断書、エコー検査の結果を提示し、手術が必要なためビザの延長をしたいと説明。ちょっと面倒くさそうな男性職員に、彼との関係や詳細な住所など長々と質問され、10分後にようやく上の人のいる2階の事務所へ。

 

職員4名が作業中の中、「上の人」の到着をひたすら待つこと30分。おじさま到着。外国人登録所なのに、積極的に英語で会話する気配なし。結果、全て夫にヒンディー語で質問をして、彼が細々と答えて対応してくれた。事情が分かると、そりゃ大変だ早く帰んなさいとばかりに開放。

 

1階の受付で再びふて顔の職員に手続きの方法を聞く。裏表に記入する申請書を1枚もらい、更にオンラインで延長ビザの申請をするようにと、アドレスをもらう。次回はそのプリントアウトと手書きの申請書、パスポートサイズの顔写真1枚を持って来る様にとの事だった。

 

この日も40度越え。暑いのと気分が悪いのとやる事が満載でイライラ。頭がボーっとしていて、後先考えずに彼に次はこれして、それからあれして、あそこに行ってと矢継ぎ早に指示してた(反省)。どんな無茶振りも着々とこなしてくれてたな。航空券の振込みも電話でしてくれた。

 

再びFortisへ。私が決断を先延ばしにしていたら、彼がまずは先生に相談してみようと言ってくれた。様々なオプションは考えられたけれど、前回の流産から今までずっとこの病院で診てもらって来ていて、インドで様々なレベルの医療が存在する中で、治療でも施設でも一番信頼できるということで、やはりここで手術を受けようと気持ちが固まってきた。

 

手術の予約をし、簡単な説明を受ける。手術は翌日の15日。私のビザの有効期限日で夫の誕生日でもあった。前日の夕食から絶食で、午後1時に手術室に直接来る様にとの事。前金で3000ルピーお支払い。食べれる時に好きなもの食べようと、彼に帰りにSubwayに寄ってもらい、ランチデート。それから私は帰宅、彼は仕事へ。家でビザ延長のオンラインサイトを開き、せっせと2時間かけて書類作成した。

 

6月15日(木)

手術当日。

この日は彼の誕生日で、かねてから仕事はお休み。朝ゆっくり起きて、私が絶食なのに付き合って何も食べないって言う彼に、サプライズでバナナパンケーキを作って、お誕生日のお祝いをした。おいしそうに食べてくれて良かった。

 

外国人登録所へビザ延長の申請書を提出に。今回は窓口で提出するだけ。手書きの申請書、オンラインで作成した申請書のプリントアウト、顔写真1枚、パスポートの原本を持って行った。ここでパスポートのコピーが1部必要と言われ、持ってないので困っていると、もう1人の事務官の女性が親切に、特別に裏の事務所でコピーしに行ってくれた。後で彼が、彼女も彼と同郷のヒマチャル・プラデュ州の人で、方言で話したら嬉しそうだったって。この地方の人は親切な人が多いらしい。(ちなみにここチャンディガール市はパンジャビ州とハリヤナ州の2つの州都。)

 

大事な用事を済ませ、時間は既に12時半を回っていた。そのままタクシーで病院へ。雨が降り出していた。心の中で、涙雨だと思った。手術が終わったら、帰りに誕生日ケーキ買って友だちの家で食べようって彼に言ったら、いつもの様に、君の好きにしていいよって言ってた。(術後はそんな余裕なんてない!とはつゆ知らず。)

 

 

1時5分前に手術室に入った。彼は入り口で警備の人に止められ、外で待つことに。手術着に着替え、看護師と麻酔医の問診を受ける。その中で「下は剃ってきていただけましたか」と聞かれ、フリーズ。誰も剃って来いなんて言ってなかったし。何故か警備の人を丸め込んで手術室の待合外まで来ていた彼に全荷物を預け、行ってきますを言い、いざ剃髪へ。同じ部屋のカーテンで仕切っただけのベッドで女性の看護師さんがジャジャーっと豪快に2分で終了。それから20分程はソファーで呼ばれるのを待ってた。

 

2時頃にようやく呼ばれ、ベッドに横になりお尻に1本の筋肉注射を打たれる。英語のできる看護師さんが、「大丈夫、怖がらなくてもいいからね、すぐに終わります」って励ましてくれた割に全然痛くない。

 

が。5分も経つと内臓が全部ぐるぐる動き出した様な気持ち悪さに異変を感じ飛び起きる。「さっきの何の注射ですか?」って聞くと「陣痛誘発剤です」って。心の準備ゼロ。もう誰にも止められない。胃が締め付けられ、下腹部が収縮し、下痢でも起こしたかの様に内臓がグルグルして、横になりながら必死で堪える。

 

すると看護師さんが目で何かを指示し、2、3名のスタッフで私をベッド毎移動開始。ヤバイ、痛い、このまま放っといたら確実に排出するであろう嫌な痛さ。そして呼吸が苦しい。聞けば薬の作用(副作用)だと言う。廊下を抜けて、手術室に運ばれ、自力で手術台に移ると即座に左の甲に点滴が打たれ、マスクが装着された。

 

「手術の先生はいらしてるんですか?」って聞いていた。始める前に顔を見てよろしくお願いしたかった。「もうすぐいらっしゃいますよ。すぐに終りますからね」それが記憶にある看護師さんの最後の言葉。

 

同じ手術台で、同じ仰向けの体勢で、次に目を開けた時、「全部終わりましたよ」って言う看護師さんの言葉が聞こえた。まだ麻酔が覚めておらず朦朧としていたけれど、大きな声で「手術の先生にありがとうございましたって伝えて下さい」って言ったらしい。

 

またベッド毎運ばれて、集中管理室へ到着。途中どこかで時計を目にしていて、3時半だったのを覚えている。麻酔が薄れると共に、下腹部を中心にかなり強烈な痛みが襲って来た。意識をなくしていたいくらいの痛み。でもとても寝ることなんてできない。いつの間にか心電図と血圧計、点滴を装着されていた。取り合えず横向き脚を曲げて寝て、ベッドの手すりを握りながらとにかく痛みに堪える。

 

心電図の音があちこちから鳴り続く中、あまりの痛さにおのずと唸り声が漏れた。痛みの波が来る度にウーン、ウーンって。するとお隣のベッドのご夫人も麻酔から覚めたのか、ウーンウーンと始まった。そこから2時間くらい、2人で変わりばんこにウーンウーンを輪唱していた。

 

5時くらいに担当の先生が(多分退勤前)来て、「大きい手術だったから帰ったら何か軽く食べてしばらく安静にして」と。私は痛みと麻酔明けでよく聞こえてなくて、「大きい赤ちゃんですか?」ってトンチンカンな質問をした。「9週はそれなりに大きな手術なんですよ」と言いなおして教えてくれて、こちらが何か言う前にパパーっと去って行った。。
 

またしばらく唸っていて、ふと目を開けると彼が来ていて、私の手を握って心配そうに立っていた。それでもやっぱり痛いので、彼の手をギュウギュウ握って痛み逃しにしながら、更にまた唸ってた。
 

痛くて過呼吸気味になっており、酸素マスクが邪魔になったので自分で外したのが6時くらい。痛み止め点滴が終わってるのを眺めてたら、喋れるくらいの痛さになっていた。その後彼がどこかに行ったので、眠ろうとしてみたけど、やっぱり痛くて寝れず。
 

看護師さんが来てオール!ヒンディー語で何か食べられますか?○○と○○と○○があるけど、と言われたので、雰囲気で理解して、何もいりませんと答えた。なのにその後チャイが出てきちゃって、そのままにしていたら、今度は看護師さん2人でヒンディー語で「これはサービスだし、何か飲まないと身体に良くないから、ちゃんと飲みなさい」って説得されました。
 

そしたら彼が沢山の請求明細持って意気揚々と戻って来て、「全部交渉してディスカウントしてもらったよ」って言いながら、ゴクゴクとお茶を飲んでおりました。病院でディスカウントって何?と思ったけど、嬉しそうで良かったーと思いながら眺めていた。
 

抗生物質の点滴が終わるのを待ってから自分の服に着替えると、8時半頃に執刀医の先生が最後問診に来た。特におかしな事もなさそうなので、退院できることに。「術後はどの様な事に注意すれば良いでしょうか」と聞くと、「僕の担当じゃないので担当医に聞いて下さい」って言ってた。オイオイ。担当医さっき帰ったみたいなんですけど。常識の範囲で良いから答えてほしかった。

 

車イスをスタッフに押してもらいながら隣の院外薬局で薬を受け取り、タクシーで帰路に着いた時には既に9時をまわっていた。彼のバースデーケーキが、と思うも口にできず。途中いつものSubwayで晩ごはんを買ってアパート到着。そのまま彼は職場にバイクを取りに行き、帰りに近所の友だちの家でビール1杯でお誕生日を祝ってもらってから、10時半にまた帰ってきた。
 

それからご飯を食べて、出された沢山の薬を飲んで就寝。寝てばかりの1日だったのに、疲れていたのかすぐに深い眠りに落ちた。

 

 

6月21日

世の中は「国際ヨガ・デイ」。気持ちは焦ってしまうものの、休養中に「妊活のための瞑想」のイメージが降りてきたので、実践してみることにして、焦らず止まらず。

 

術後6日目。出血は少量ではあるが、まだ完全には止まっていない。

 

術後2日目は夕方まで出血がなかったが、夕方シャーっという感じで水っぽいピンク色の出血があった。腹水?が出ているのか謎ながらも、3日目も同様の出血。痛みも刺す様な鋭い痛みが時折襲ってくる感じだった。

 

4日目からは、出血の量が減り、色の濃い鮮血に。量は生理の最終段階程度で、決して多くはない。前日まで立ち上がる度に刺す様な痛みがあったのが、大分鈍い痛みに変わっている。

 

5日目にして、ようやく料理が1食は作れる様に。まだ不安はあるけど、今日は今までできなかったこともあり、少し頑張って旦那さん用にピクルスとクッキーも作ってみました。普通に料理ができるなんて何ヶ月ぶりかのことで、とっても楽しい。術後2、3日はまだつわり状態で何を食べても味が分からずひたすら気持ち悪かったけど、今は何を食べても美味しく、今日は何を作っても自画自賛。

 

明日は出来上がった延長ビザを受け取りにまた外国人登録所に行く予定。それから調子が良さそうなら術後の検査に病院に行きたいけれど、無理をしないで次の日でもいいか、とも思う。

 

早く旦那さん帰って来ないかな。ジェラ・クッキー(クミンシードのクッキー)、喜んでくれますように。

 

 

つわりの最中から手術後まで、唯一モリモリ食べられたSubway。お世話になりました。
何でも美味しく食べる人が側にいてくれて本当に良かった。