「ELC」シリーズ 第七回:村上春樹の短編「ドーナツ化」にちなんで
「エッセンシャルライフ・コンサルティング」シリーズ 第七回:
村上春樹の短編「ドーナツ化」にちなんで
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前回に続いて、エッセンシャルライフ・コンサルティング(ELC)のコンサルタント、辻本恒(VIJAY)さんによる、ELCの紹介シリーズをお送りしています。
今回VIJAYさんは、小説家村上春樹の「ドーナツ化」という短編作品にちなんで、ELCコンサルタントならではのとてもおもしろいお話を展開なさっています。
VIJAYさんの誘導で、いっしょに村上作品をお楽しみください。
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村上春樹の短編というか「ショート・ショート」に「ドーナツ化」というものがありま
す。
『夜のくもざる』という本に収めろられていて、とても短い小説で、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こったときに、ふと「そういえばカルトって、なんだかドーナツ化みたいなところがあるんだな。」と自分の作品を思い出したそうです。
書いてる時はそんなことまったく考えずに、ただドーナツのことを考えているだけだったというのが面白い。
村上春樹はドーナツが個人的に好きなのだそうです。
小説の内容は、
「三年つきあって結婚を約束していた恋人がドーナツ化して、それで我々の仲がぎくしゃくしてしまった頃
いったいどこの誰がドーナツ化した恋人とうまくやっていけるだろう?
僕は毎晩のように酒場で飲んだくれて、『黄金』のハンフリー・ボガートみたいにげっそりとやつれていた。」
という出だしで始まります。
「ドーナツ化」とはなんなんでしょう?
「一度ドーナツ化したものは永遠にドーナツ化したしたままなのよ。」
という妹の忠告を聞いて
「僕は恋人に電話をかけてさよならを言った。
「君と別れるのはつらいけれど、でも結局こうなる運命だったんだね。
君のことは一生忘れないよ・・・云々」
すると恋人は言います。
「あなたにはまだわからないの?」とドーナツ化した恋人は言った。
「私たち人間存在の中心は無なのよ。
何もない、ゼロなのよ。
どうしてあなたはその空白をしっかり見据えようとしないの?
どうして周辺部分にばかり目がいくの?」
どうして? と質問したいのは僕の方だった。
どうしてドーナツ化した人々はそのように偏狭な考え方しかできないのだ。」
と主人公は嘆息します。
しかし、「私たちの人間存在の中心は無」で、「周辺部分に目が行く」ことを批判する恋人を「ドーナツ化した」と描写していますが、この恋人の「人間存在の中心が無」という観点(村上春樹の)は、エッセンシャルライフ・コンサルティングの観点と同じだとも言えます。
さすが村上春樹と、僕は思います。
なんも考えずに、悪ふざけで書いたというショートショートにも、深い人間理解が伺えます。
村上春樹は、月間260km走り込むバリバリの長距離ランナーで、その行為を【観照の境
地】と表現しています。
【観照の境地】=【瞑想の境地】だから僕の推測では、村上春樹も「私たちの人間存在の中心は無」だということを体験的に知っているのではないか? ということです。
ELCの意識の多重構造マップは観念的な地図ではなくて、長年の瞑想の実体験が生まれたものです。
例えば村上春樹は、次のような文章を書いています。
「走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。
いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。
それらはやってきて、過ぎ去っていく。
でも空はあくまで空のままだ。
雲はただの過客(ゲスト)に過ぎない。
それは通り過ぎて消えていくものだ。
そして空だけが残る。
空とは存在すると同時に存在しないものだ。
実体であると同時に実体ではないものだ。
僕らはそのような茫漠とした容物(いれもの)の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、呑み込んでいくしかない。
(走ることについて語るときに僕の語ること:P35)」
村上春樹が「人間存在の中心が無」だということを体験したのは、ランニングで身体エネルギーを動かし、作家活動でマインドも十全に動かすからだと思います。
ドーナツの形がしっかりしていると、中心の無がはっきりするように、エネルギーを動
かせば動かすほど、コントラストがはっきりして、中心の無が際立ちます。
だから例えば、ユニテイーインスティテュートの講師の三人が来日した時も、散歩やダンスやエクササイズを欠かしません。
瞑想の先生たちだからといって静かに座っているだけではないのです。
中心の無だけを目標にしてしまうと、小説の中の恋人のように偏狭な考え方をしてしま
いがちです。
すべては移り変わる=無常だから、周辺のことには関わらない世捨て人のような生き方をしてしまいがちです。
そういった傾向を村上春樹は「ドーナツ化」と呼び、カルト化と呼ぶのでしょう。
人間存在の中心は無だということを経験していても、そこからやってくる創作活動にし
っかり取り組んでいるので、村上春樹は周辺部分(生きること)を批判しません。
愛する人生を生きていると思います。
創作を楽しみ、料理を楽しみ、音楽を楽しみ、ランニング愛しています。
真の創造性は空から生まれます。
雲のように通り過ぎる思考は走りながらやり過ごすので、村上春樹の作品は、表層的な考えを綴ったものではなく、万人の胸を打つのでしょう。
中心から文学の神様を引き寄せるのでしょう。
いわゆる引き寄せの法則は、意識の表層にある思考を否定的なものから肯定的に変える
ことが多いのですが、ELCでは「内なる引き寄せの法則」といって、内側に入っていく
ことを勧めています。
しかし、内側に入ってそこに留まりません。
内側にある本質や強みを使って、外界にそれらを現していきます。
内側の「空っぽさ無」に留まってしまって、外側の世界を否定したら「ドーナツ化」してしまいます。
そうなるとショートショートのように、困ったことが起きがちです。
エッセンシャルライフコンサルティングは、瞑想やワークで内側の平和なスペースを体
験したことがあるのだけれど、どうしたらそれを表に現せばいいのかわからない内向き
なひとのためにも有効なのです。
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VIJAYさん、ありがとうございました。
面白いですねぇ。(^^)/
ついつい『夜のくもざる』を読んでみたくなりますね。
では、VIJAYさん、また次回もよろしくお願いします。
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