「恩寵の法則」 12回 (イタリア編) | ユニティインスティチュート

「恩寵の法則」 12回 (イタリア編)


「恩寵の法則」 12回 (イタリア編)

このシリーズはイタリアで開催された「恩寵の法則」のコースでの内容の一部を20回のシリーズでご紹介します。

恩寵の法則では、さらにもっと大きなものとのつながりの中で人生を生きることを学んでいくことになります。

今回はその第12回目をお送りします

人生を本質から生きるための知恵をお楽しみください。

ちなみに、日本での「恩寵の法則」は2012年3月9日(金)~12日(日) 
東京で開催されます。
https://unityinstitute.jp/schedule/booking.cgi?code=120309-11Pr_EL3_f


(はじめに)

日常生活の中で、私たちはたくさんのことにリアクションをしています。

誰かに言われたことにカチンとくると、つい言わなくてもいいことを言ったり、したりするのが世の常です。

英語では「ボタンを押す/押される」という表現を使うことがあります。
人からボタンを押されると自分の中で反応が起こるのですから、ロボットか人形みたいですよね。

過去に与えられた条件づけによって、
ある種の反応が呼び起こされてしまいます。
どのようにすればそこから出られるのでしょうか?


では、「恩寵の法則」第12回をお楽しみください。




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第12回:「心理的ボタンが押されたロボット」


私たちは絶えず外側で起こる出来事に反応しています。
そしてあなたの心理的ボタンを誰でも押すことができます。

前を走っている車がのろのろしているとか、
食料品店のレジ係がのろくてなかなか進まないとかで、即座に反応が起こります。
誰かがすてきな服を着ていたり、すてきな髪型をしていても反応はおこります。

表層だけで生きているとき――私たちは絶えず反応しています。
すると私たちは自分の尊厳を失って、ロボットになってしまいます。

誰かにボタンを押されたら、それによって自分の内面の状態が完全に失われる
のでは、あまり自由があるとは言えません。それは私たちの尊厳を奪います。
すると私たちは古い習慣に陥り、中毒状態になってしまいます。

問題は、こういったことがいつ起こっているのかということです。
思考、感情、反応、嫉妬、比較など、どうして起こり続けるのでしょうか。
感情や思考から解放されるまで待つことも大切ですが、
それはあなたに少しの解放とスペースに気づく機会を与えますが、
自由になるわけではありません。

感情や思考が起こっているときに、どうすれば中心を見つけることができるのでしょう
か? それが課題です。