秋の訪れを感じさせる雨だった。


先日の日記、
TTで書いたティーム・ティーチングが終わった。


小学校教員と盲人の女性による、チーム指導…


子どもたちの心には何を残せただろう。



授業の後、
学年主任の先生と、私、そして、彼女で駅まで帰った。


視覚に障がいのある人を先導する際、
自分の二の腕や肩を貸して歩くことになる。


雨の中では、
どうしても相合い傘になる。



駅に着いて、
ホームで彼女を見送った後、

主任の先生が、からかうように笑った。



『あなた、彼女をかばって全身びしょ濡れね。


今までアナタの魅力が分からなかったけれど、
そういうところに女の子は惹かれていくのね。


けれど、アナタの今日の優しさに…アナタがびしょ濡れだったことに、

目の見えない彼女が気づくことはないのよね。


だけどね、
彼女アナタに恋してるわよ。』




ボクがこの話で伝えたいことは、この話が決して美談ではないということだ。

ボクはなんて、浅はかなんだろう。

彼女が求めているものは、大きい非永続的な優しさなどではない。


それは、小さくな永続的な優しさなのだ。

仕事がようやく(ほんの少し)落ち着いたので、


真夜中に本を手に取りました。






ボクが本を読み始めるようになったきっかけを作った本、


ドリアン助川さんの『ベルリン発プラハ』です。






この本は、一人の日本人男性が、


傷つけてしまった恋人を追って、ドイツを旅する話なのですが、






当時のボクはまだ18で、恋愛の「れ」の字も知りませんでした。






だから、


「なんで好きな相手を傷つけなきゃいけないんだろう」って、


ずっと疑問を抱いていました。






けれど30を前にしたボクは、その意味が少し分かる気がします。




前の日記にも書きましたが、


「オトナになるということは、自分で生き方を決めることであり」、


そういった決断は時として人を傷つけてしまうことを知りました。








そして、本気で相手を愛すれば、


本気でぶつかりあうことも必要だと感じるようになりました。








時々、人から「優しいね」とか「オトナだね」と言われることがあります。


でも、それは元々自分がそういうものを備えていたのではなく、


本気でぶつかり合った相手が一生懸命にボクに伝えてくれたものだと思っています。








先日、元・彼女から、


「やりなおしてほしい」という連絡をもらいました。






けれど、楽しかった思い出も生まれてきた優しい気持ちも、


ボクにとってはもう過去のものです。






『ベルリン発プラハ』の主人公のようには、


元・恋人の後姿を追わない自分がいることに気付きました。






もう恋愛感情はないけれど、
心にはただただ感謝の気持ちが静かに佇んでいます。

あまりに早くスタートラインに立ち、

そして、いろいろな紛争(?)に巻き込まれた故に、かなり出鼻をくじかれたスタートとなりました。




しかも、お腹が♪ピ~コラピ~コラ♪音をたて始めました・・・





「いかん、このままでは完走どころか・・・不名誉な称号を得てしまぅ・・・。」




結局、我慢できずにスタート500mの市役所前の公衆トイレに駆け込み、

難を逃れました・・・。



けれど、そこで身体が軽くなったのか、

その後は、順調に走りこみ、

萬代橋、昭和大橋、千歳大橋、平島交差点、小針3丁目とチェックポイントをクリアしていきました。




沿道には、たくさんの人が応援の声をかけてくれました。




この調子なら、フルもいけるかなと思ったその先に、

地獄の上り坂が待ち構えていました。