体は私たちの社会的都合に関係なく、死ぬまで全力で力の限り生きている。
ただそれだけ!
野口先生の全生訓の一節。
以下、転載
人に自己保存の要求あり、種族保存の要求あり、その要求凝りて、人産れ、育ち、生く。
もとより何の為に自己保存を為すか、種族保全を為すか知らず、たゞ裡の要求によって行動するのみ・・・・・・
何の為に産れ、何の為に生き、何の為に死するか人知らず。只裡の要求によって行動するのみ。
人ありて言う。国家を隆盛ならしむる為人は生くると。果たして然るか。
人ありて言う。人類の繁栄に貢献せんが為に働くと。果たして然るか。
人ありて言う。この学問を完成する為に吾は生くると。果たして然るか。
之らは、自分で産まれてから考え、つくった目的であって、本来あるものに非ず。されど、この目的のうちに種族保存の要求あることは確か也。その要求によって生の目的を樹てたる也、良きこと也。しかし何の為に産れ、何の為に死するか。その要求を知らざる限り、生の目標見定め難き也。
しかも目的なくも、たゞたゞ生ききんと人は努めている也。
○
人の生きんとするは人にあるに非ず、自然の生、人になり生きる也。
それ故、人に目的なくも生きんとし、産まんとし、人のつくった目的が成就しても尚生きていることあり、目的途中にでも、死する人あり。自然の生の案配、人のつくりし目的によらざる也。
自然、人を通じて生く
生死、命にあり
自然に順(したが)うこと、之生の自然也
人の生くること、生くる為也
その生を十全に発揮し生くること人の目的也
その為、人健康を快とし、いつも快く動く。その動きの鈍れる体を重しとし、その不調の体を自づと調律し、いつも健康への道に動きつづける也。
しかも、死あり快く動きて人は死に至る之自然也、生ありて不快、体ありて動かず之生の自然に非る也。
○
人の生くる目的、人にあるに非ず。自然にある也、之に順う可し。順う限り、いつも溌剌として快也。
健康への道、工夫によりて在るに非ず。その身の裡の要求に順つて生くるところに在る也。
いつも溌剌と元気に生くるは自然也、人その為に生く。
以上、転載終わり
死ぬまで全力で生き切るのみ!