前回の記事、「快・不快」の話 の続きのようなお話です。
「不快=不調」ではないというお話です。
全生社から出版されている野口先生の「体運動の構造 第二巻」にこのようなことが
書かれていました。
以下、引用
よく、怒ったり、泣いたり、苦しんだり、悲しんだり、そういう人間の心は病気の因だと言う人
があります。しかし、嫌なことがあって嫌な顔し、腹の立つことがあって怒るのは極めて自然
で、これが体に悪いとは思えない。悪ければ、そんな感情が人間に具わっている訳がない。
感情というのは一種の自律作用で、これを抑えることの方が不自然なのです。非常な悲しみ
に出会うと人は寧ろ泣けないものですが、そういうように、素直に感情を表現できない時に、
却って心に凝固が生ずる。この方が寧ろ病気につながる。しかしそれであっても、そういう心の
凝固が体に直接反射するのではなく、心の凝固の為に深い眠りができなくなる、その結果として
、緊張・弛緩のバランスが崩れ、病気になるのではないかと思うのです。病気の経過が悪いとい
うのでも、必ずしも病気が重いのではなく、眠りを妨げている何らかを抱えている場合が多いの
です。
以上、引用終わり
野口先生は、病気と呼ばれているもののほとんどは、あるアンバランスからもとのバランスへ
戻ろうとする自律性の表れではないかと思うともおっしゃっておられます。
私たちはついつい起こったことによい悪いをつけて問題視してしまいますが、それは自分の都合
であって体は必死で私たちの生き方に対してバランスしようとしてるだけなのかもしれませんね。
何かのヒントになればと思いました。