私は日頃、よく相談を受けることがあります。



子供に恵まれなかった事を自分のせいだと責めている方が多いです。


また、子供には恵まれたけど、いろいろな事情があって子育てができなかった後悔から自分を責め続けている方もいます。



確かに、子育ての中でしか経験できないことは沢山あります。
子供の身の回りの世話をしたり、様々な経験を通して共に成長したり、自分一人では味わえなかったいろんな感情を味わうこともあります。



ただ、ここで気づいて欲しいのが
『 育てる 』とは何なのか?ということです。




私の思う『 育てる 』ということの本質は
未知なる可能性を秘めた生命や存在を、大切に見守り育むこと…


それは自分の子供だけに限らないです。


血の繋がりのある関係でしか経験できないというものではないと思うのです。




動物や植物を育てること


身内や地域の子供達を優しく見守ること


教師として生徒を育てること


社会に出て部下を育てること



いろんな場面で誰かを応援し、その成長を見守ることはできます。



私はスピリチュアルな視点で見た時
自分の子供を育てるということには、重要な学びや魂のテーマがあると感じています。


もちろん、子育てには楽しさや幸せとセットで大きな責任や感情が激しく揺さぶられる経験が多いです…
というか、そんな事だらけです。



今世で子育てをすると決めてきた人もいれば
今世は子育てという形ではなく、別の形で魂を成長させると決めてきた人もいるはずなんです。



それは子供も同じで、親との縁が薄い子もいます。
お互いの魂の契約の元で生まれてきたと言えます。

ただ、これはなかなか理解されない事かもしれません。





私は、人生で出会う全ての人は、それぞれ意味のあるご縁だと思っています。



親子だけ特別なのではなく、友人も職場の人も偶然出会ったと思える人でも、お互い何かの学びがあり魂を成長させるために出会っています。



その中で、子育てと同等な経験も必ずあるはずなので、血の繋がった子育てだけに捉われなくていいのです。



身近に関わっている誰かをサポートするのも立派な『 育てる 』行為だからです。



もし、家族に抱く思いが希薄で自分の人生のテーマに意識が向かうなら、それも魂が選択してきていることなのだと思います。



だから、必要以上に自分を責めたりしなくていい。



自分にしか歩めない人生があります。



その中で、子育てとは違う形で自分自身も成長できる経験が必ずあるはずです。




* この考えは私個人のもので、感じ方はそれぞれだと思います。
それは違う と思う方はスルーしてくださいね。




 ー  育てる  ー


補助輪付きから 補助輪無しで自転車に乗れるようになるまでには、必ず手放しの時が必要です。


孤独を恐れて手放しを避けると自立の機会を奪うことになります。


過干渉はコントロールであり、自由を奪うことです。


何を恐れているのか?

何にしがみついているのか?


他の誰かの人生を背負うことはできません。

それが自分の子供であったとしても。



自分を冷静に見つめ、人生に集中する事で、やらなくてもいい事や本当にやるべき事は何なのかに気づくはずです。


自分の人生の目的から目を逸らすのは恐れがあるから。


今、想像できることは既にコンフォートゾーンです。

まずは自分がコンフォートゾーンにいると気づくこと。


そしてゆっくりでもいい、干渉していた対象を手放し、想像もつかない新しいステージに向かう勇気を持つことが大切ですね。