昔の記憶から書いてみます。
私が小学校に入学してから間もないころ
母親から、ピアノの教室に見学に行こう!と、近所の友達親子と一緒に、連れられるままに行きました。
そこでは、大きな口を開けて音階をリズムよく、楽しそうに歌う子供達がいました。
先生は華やかなシフォンのドレスを着ていて、優雅にピアノを弾いていました。
ね、楽しいでしょう♪
習ってみたら?
友達の◯◯ちゃんも習うんだって!
母親は、どうしても私にピアノを習わせたかったみたいです。
その時の私は、ピアノに興味が無いとまでは言わないけれど、一番やりたい事ではなかった。
私が習うとハッキリ言ってもいないのに、その日のうちに母親は入会手続きを済ませてしまいました。
それから、私はピアノ教室へ毎週末通うことになりました。
遊びたい盛りに、決まった時間に遠く離れたピアノ教室まで自転車で通う日々。
習いたくて始めたわけではないから、そんなに練習もせず見てもらうので、注意をされることも多かった。
練習しないと上手くなりませんから当然ですよね。
ピアノが好きで、憧れて、習いたくて始めた人は楽しくて仕方ないのでしょうが、私の場合はそうではなかった。
興味はあっても、ピアノに全エネルギーを注ぐほどではなかったから、通うことが次第に億劫になっていったのです。
それでも友達と一緒に通っていたのもあって、数年は通いましたが、だんだんと親の期待に応えるのが苦しくなって、サボったりする事もありました。
そうなると先生から家に連絡が入るので、親に怒られます。
私は益々ピアノ教室に通うことが嫌になりました。
その後、数回通ったころ、私は初めて 自分の口から辞めたいと言うことができました。
気まずい雰囲気にはなりましたが、親も薄々気づいていたのでしょう。
私はやっと辞めることができました。
やっと肩の重荷が下ろせた時の解放感は今でも覚えています。
今思えば、私はピアノ自体が嫌だったのではなく、親の想いを背負って習うことが嫌だったのだと思います。
自然な形で自分から習いたい!と思って始めていたら全然違っただろうなと思います。
ピアノの音は今でも心惹かれるだけに、とても残念な出会いだったと感じます。
人は、自分の意思でないことを始めても上達はしない。
その場の雰囲気や相手の期待を感じて始めたことは続かないんです。
ずっと受け身で生きて来た人は尚さら自分の想いを抑え込んでしまうから言えずにいます。
『 好きこそ物の上手なれ 』 です。
一番好きでやりたい事でないと、能力は発揮できないし才能も開かないものなんです。
誰かに好かれたい、嫌われたくないという思いからの行動は、いづれ上手くいかなくなります。
素質があって本当に好きな事は、放っておいても子供の頃からその原型なるものをやっています。
自分の使命や人生の目的を探す時、子供の頃に夢中でやっていた事にヒントがあるというのはそういう事なんだと思います。
ちなみに私は幼い頃、魔法やおまじない、占いみたいなことを遊びの中でやっていました。
なりたいものは魔法使い(笑)
あなたは、誰かに自分の期待を背負わせていませんか❓
言葉にしてなくても、無意識にそう仕向けていませんか❓
本当に好きで向いていることは、初めから光るものを放っています✨
やればできる❗️続ければ上達する❗️は拷問にもなり得ます。
あなたは自分の夢や理想を、無理やり誰かに押しつけていませんか❓
どんな関係でも、相手の自由意志を奪ってはいけません。
