先日、私が過去に勤めていたある店舗跡地の前を通った時に思い出したことを書いてみます。

長文ですが、良かったら読んでやってください。

 

 

そのお店は、当初から田舎町では珍しいオシャレなお店として注目を集めていました。

 

オーナーは別の業種で個人店を経営していた方でした。

その店の経営は全くの素人(失礼!)でしたが、人を雇えばお店は回ると思っていたようで

初期の人事採用では、自分の好みで若い女性を数名採用してのスタートでした。

 

かくいうその中の一人が私だったわけですが、当時の私は主力商品である「 ◯◯は好き?」と聞かれれば 「 好きです!」と答える程度でした。


他のスタッフも同じで、「 メチャクチャ好きです!特に◯◯が好きで… 」みたいに

具体的に何がどう好きなのかを答えられるほどの本当の「 ◯◯通 」ではありませんでした。

 

オープン当初は物珍しさからお客様も少しは来ていただいていましたが、肝心な店側の売りたいものは売れず、だんだんとお店は閑散としていきました。

 


当然ですが、オーナーにだんだん焦りが出てきます。

お店を魅力的にするには何か良い方法はないか?と、スタッフミーティングをしては話し合いをしていました。


所詮素人の集まり…

なかなか良い案が出ず、打つべき対策も見つからないままミーティングを終えるという日が続きました。

 

 

とある日のミーティングの時、私の言葉がオーナーの心に響きました。

それは、「 都会のお店を見て勉強をしてきませんか?」という一言でした。

私の中で言っていいのかなぁ…と思いつつ、言えずにいた言葉でしたが、結果的にその案がお店を繁盛させるキッカケになったともいえるチャレンジになったのです。

 

ミーティングから数日後、私とオーナー2人はどこをどう見るのかもよくわからないまま、大阪のある有名なお店に視察に行きました。


雑誌に載っている有名なお店を手当たり次第見て回るうちに、どのお店も問屋では仕入れられないルートを持っているんだということに気がつきました。


問屋の都合で紹介してくる、ありきたりな物を売っていてはダメだと気付いた瞬間でもありました。

 

大阪への視察は無謀?とも思える行動でしたが、有名なお店を周るうちにムクムクと私の中に情熱が膨らんでいきました。


もともと好きだったのもあって、私の商品を見つけ出す「 勘 」は自分でも驚くほど冴えていきました。

そんな視察の旅を何回かしていた時、ある人との運命的な出会いが訪れました。

 

普通に暮らしていたら絶対に出会えないだろう人に出会ったのです。

それは、私の人生をも大きく変えてしまうような出会いでした。

 

視察中、ある品物が目に留まりました。

いつものごとく、メーカー名や電話番号をメモして直接連絡を取るということをしていたので、その時も即連絡をしました。


オーナーも一緒だったので、即メーカーを訪問という話になりました。

大阪が本社だったので、トントンと話が進みます。

不思議ですが、おもしろいくらい流れに乗っているという感覚があり、全てがスムーズでした。

 

いざ訪問となるとやはり緊張しましたが、そこで出迎えてくれたのは温厚で優しい中年の男性でした。


日本人離れした大きな身体、笑顔の温かいユーモアのある素敵な方で、一気に緊張がほぐれたのを覚えています。


どこかで会ったことがある?というような感覚もあって不思議な縁を感じました。

その時、私は人生の恩師といえる方に出会ったのでした。

 

その方は、あの有名な天下の『 ◯◯◯◯ 』の元幹部社員という経歴の方。

訳あって退社して、その後この業界に参入されたとのことでした。


なぜ、そんな大企業にお勤めだったにも関わらず、この業界へ?

当時は聞くことができませんでしたが、のちに哀しい過去があったことを他の方から聞いて知りました。

 

その方は、社長や幹部社員と共にヨーロッパや海外視察には側近として必ず同行していたそうで、いろいろな店を視察したり、海外の事情にもとても詳しい方でした。


なるほど! 納得でした!!

 

私はその方から

商売とは?

この業界のこれから50年先

100年先の長期的視点

最先端のトレンドを掴む方法

ディスプレイ方法を始め、商売の全ての知識を教えたいただいたと言っても過言ではないほど、本当に聞けばなんでも教えてくれました。


この業界のことを学べば、全ての物売りのことがわかるというくらい、いつも惜しみなく教えてくださり、今の私があるのは、その方のお陰で本当に感謝しかありません。

 


その方との出会いから、勤めていたお店はだんだんと繁盛店へと成長していきました。

オーナーも喜び、私は店長兼バイヤーとして恩師との交流を続けながら、その後10年間勤めあげました。

 


10年???

はい、10年です。


そのお店を辞めたのには理由があります。


その続きは次の投稿で書いていきますね。