自分の中の醜いものを見つけた時

人はそれを受け入れたくないものとして

歪曲し他人に投影し認識してしまう。

自分自身を守るために。




どうして醜いと思ったのだろう?

何を醜いと思ったのだろう?

その時の背景はどんなだったろう?

なぜそういう出来事が起きたのだろう?



少しずつでもいい

掘り下げて考えてみよう。



そこに認知の歪みがあるはずだから。



良い面、 悪い面

どちらも同じように見ていく。

良い面が無いように思えても

一つだけでも無理矢理見つけてみます。



起こることが 起こるままに 起きている…

感情を伴わず フラットにそう思えた時

ガチガチの塊が 解けるように

少しずつ 少しずつ 小さくなっていく。



癒しとは

他人によってなされるものではない。



自分自身にしかその傷は癒せないのだから。

癒えるまで 何度でも 何度でも。

私もそうしてきたように。



私は見守っています。