3月11日 | オカリナ&和楽器ユニット妖のブログ

オカリナ&和楽器ユニット妖のブログ

オカリナと筝のユニット。オカリナ/渡辺史子 筝/原野学
日本全国どこへでも出張演奏いたします♪

二年前のこの日

わたしオカリナのほうは、オカリナ花音の練習で

船穂にあるI井さんのお宅にお邪魔していました。

それは、ちょうどその帰り道でした。

メンバーのHさんに電話がかかってきたのです。

短い電話だったので「テレビ見て」くらいだけだったんだろうと思います。

急いで車のテレビをつけると、ものすごい津波がおしよせる瞬間が映っていました。

乗っていたメンバーは最初、何が起きたのかわけがわからず、

しばし無言・・・

「これ日本?」

といったT岡さんの声が忘れられません。

Iちゃんと言えば、よっぽど信じられなかったのか、日本ではないかと思ったのか、映画とでも思ったのか

「眠くなった~~」といって寝てしまった。。。、

わたしも映画としか思えなかった。

あるいは、よその国のどこか。

でも、日本だとわかったとき、関東に単身赴任のダーリン(だんな)から電話がかかってきました。

「一応俺は大丈夫だから。でも原発やばいみたいだから」(この時点で一部の会社?はすでにわかっていたみたい)

とだけ言って切れて、あとはつながりませんでした。


頭が????はてなマークでいっぱいで、事実を事実と受け止められなかったわたし。

帰宅しても、ボーとしているだけでした。

夜になって友人や親戚に電話をするもののすべてつながらず、さらにボー。。。。

娘と一緒にテレビの前でふるえつつ、何度も何度も電話をかけなおしていました。

メールも大量にうちました。

返事は何一つかえってきませんでした。

あの時の胸が冷たくなるような、なんとも言えない恐怖は、忘れることができません。

さらに、わたしは頭が混乱して、ファックスならどうだろうと(電話がダメなのにダメにきまってるし)

ファックスを流そうとしたり。。。。

パソコンからメールをうったり。

今考えると回線を無駄に使っていたわけで、反省しきりですが、

何とか安否を確認したかったのです。



あの時のことを思い出すだけで、わたしですら胸の中が冷たくなるのに

被災した方々のお気持ちは、計り知れません。


それからすぐにわたしたちユニット妖は、支援へのチャリティコンサートを始めましたが

残念ながら、わたしの熱意は、当初まったくの空回りでした。

言い方は悪いですが、「第一に商売」というところが非常に多かったのです。

非常時だから、会場をなるだけ安く貸してほしい、そしてすべてを支援金にあてたいのだ

という要望を受け入れてくれる民間の会場はどこもありませんでした。

さらに言えば岡山の音楽界の重鎮(ジャズのほう)と呼ばれるかたに相談したところ

「お店にも儲けがないとね」

の一言にわたしはブチ切れして、その人とは縁を切ることになりました。

長い目でみたらそうかもしれない、でも、あの時その言葉は必要だったの???

また、公的な場所でのチャリティも難しいものでした。

公民館で募金を募ることに(お金が動く)、難色を示されたところが多かったのです。



一番親身になってくれたのは、やはりユニットの相方と、

それから、生徒さんたち、そして個人的にお付き合いのあった友人たちでした。

最初に名乗りをあげてくれたのが吉備公民館の皆さんで、

川入団地集会場が一回目でした。


あれから幾度、コンサートを主催し、また参加させていただき、復興の支援金を募ってきたのでしょう。

大小含めると数え切れないくらいです。

わたしたちは、主催のチャリティコンサートについて経費はすべて自腹です。

一度のコンサートで数万円の経費がかかりますから、やはり痛いです。
 
以前経費を捻出するために、有料制にしたところ(500円です)

「利益目的なので、今後は貸しません」といわれたのですプンプン

しかも会場費有料やねん!意味わからんし。

名前をあげたいところだけど、やめておきます(`□´)

二度と借りんわ!どアホ~~~~~~(▼O▼メ)



と、ここは、妖のブログなので、このへんにしておきます。

相方とわたしは必ずしも同じ気持ちではないので、相方は多分そんなに怒っていないw



これからも、地道に地道に何度も何度もチャリティコンサートを続けていきたいと思います。

何年、何十年単位かもしれませんね。


二年前のこの日、命をおとされた方々に、祈りを、

そしてあれから生き抜いてこられた方々にも、希望の祈りを、

がんばろう日本

がんばれ日本

でも時々休もうよ日本