実際に目で見ないと、
多分、いつまでも他人事に悲しんでいただけ、になったと思います。
誰のために悲しんでいたのか、
自分が悲しかったのか
何なのか
わからなくなりました。
複雑な気持ちです。
みなさんが想像している以上に
様々なことがおきています。
実際に壊れてしまったものは
形のあるものばかりではなく
目に見えるものはまだ映像にできるけれど
目に見えないものは
伝えにくく、伝えようと思っていても
必ず主観が入って別の物になってしまいます。
だから、軽々しく見てきたこと
思ったことをかけないな、書かないほうがいいな、
というのがわたしたちの考えです。
ただ、事実だけは伝えられます。
津波の被害のあったところとなかったところは
本当に数センチを境にしています。
ひとまたぎ、であちらとこちらとにわかれていました。
そして、被害のあったところはがれきのまま
一足踏み入れれば羽虫のようなものがたくさんわきあがり
お鍋や、布団や、アルバムや
そんなものまで浜辺となった地面に、
瓦礫といっしょにただ、そこにありました。
被害のなかったところは
日常を取り戻したかのように(外から見てです)
お店が営業できており、
揺れで壊れた建物はほとんど見受けられませんでした。
駅前は、色んなものが品薄だったり
省エネになっていたりはしますが
駅前らしい賑わいがあり、人がいて、
商店街もあり、何も情報がなければ、わからないかもしれません。
「がんばろう日本、がんばろう東北」
の
のぼりや、ポスターがなければ。
避難所の方々とお話させていただきましたし
この内容をこのまま
岡山市へ報告書として書かせていただいても良いという
許可をいただきましたが
ブログに載せることはやめておきます。
流されてしまったものは、
目に見えるものだけでなく
命を含めて、見えないもののほうがずっと大きいと感じました。
そして見えないものほど
取り戻すのが難しい、
誰かに伝えようとするのが本当に難しいと。
そんな思いです。