宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -10ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

おそ松くん

初めて読んだのはいつだっただろう? 「おそ松くん」は、1962年から週刊少年サンデーに連載されたようで、アニメの開始がその4年後の66年(昭和41年)だから、私はたぶんアニメで観たのが先だったようだ。放送がまだシロクロだったにもかかわらず、内容は刺激的。六つ子が主人公というとっぴな発想の上に、イヤミやチビ太というキャラクターが爆発し、破壊し、ストーリーから脱線する。イヤミの発する「シェー!」は、国民みんな(特に子供)が真似るくらいのギャグとなり、写真には必ず「シェー!」のポーズで写ったもんだ。今なら流行語大賞間違い無しなのに、当時のPTAはうるさかった。教育上よろしくない、という理由で学校でのギャグの使用まで禁止された。そこまでするかという感じだけれど、そのおかげもあって赤塚不二夫の名はまたたく間に広がった。私が写真のコミックス「おそ松くん全集」を読みあさったのも、ちょうどそんな頃。自分よりおバカな人間もたくさんいると、妙に安心したのを憶えている。あれから数十年を経て、「おそ松くん」は大人に成長し、「おそ松さん」として去年復活した。大人になってもやっぱりニートの「おそ松さん」。教育上はよろしくないかもしれないけれど、なぜか生きることの安心感が伝わってくる。赤塚ギャグに、格差はない。だからそこが、好きなんだ。

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ファンタの広告

1970年頃、たいていの家庭では、牛乳の他に何かジュース的な飲み物を酒屋さんから定期的に注文していた。うちの家ではキリンレモンか三ツ矢サイダーだったけれど、リボンシトロンとか、中には米屋さんからタケダのプラッシーというキュートな飲み物をとっている友達ん家もあった。ただ、どういうワケか「ファンタ」を定期注文している所は少なかった。当時は、コカコーラを飲むと骨が溶けるなんて、奇怪な理由から小学校では禁止されていたので、同じ炭酸飲料のファンタも大人からは敬遠されていたのだろう。だから飲みたい時は、自力で買うしかない。それなのに、ファンタはなかなかの高額商品だったのだ。「私のファンタ飲んだのダアーレ?」というCMを観るたび、ボクたちはますますファンタに憧れた。同じ頃、ペプシからもミリンダというライバル飲料が登場し、しかも関西では少し量の多いチェリオなる強力な炭酸飲料の出現もあって、どの炭酸飲料を飲むかという選択は、どのアイドルを応援するかと同じくらいの決断が必要だった。でも、やっぱり、ピチピチはずむ太陽の味。というファンタのキャッチフレーズを、ボクたちは忘れない。74年には、アップルとレモン味も出たけれど、ファンタと言えばオレンジとグレープ。あの頃に戻って、今でも時々「ファンタスティック!」と叫びながら飲みたくなるのである。

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イミテーションゴールド

リオ・オリンピックで、日本は過去最多のメダルを獲得した。中でも、金メダル12個の感動は大きかった。それなのに私のアタマには、こんな文字が浮かんできた。「假黄金」 中国語で、仮の黄金。日本語に訳すと「イミテイションゴールド」ということになる。それは、写真のレコジャケ、山口百恵18枚目のシングルのタイトルなのだ。中国語でそう書くと、最近教わったものだから、つい浮かんでしまったのである。39年前の、やはり暑い夏の日だった。京都の鴨川べりで初めてこの曲を聴いた私は、山口百恵という同世代の歌手に激しく嫉妬した。まだ学生で、まだ幼くて、先も何も見えなくて、まだ夢の入り口にも立っていない自分との違いに、気づいた焦りだったのだろう。それくらいに、この歌は大人びていた。♪声が違う 歳が違う 夢が違う ほくろが違う ごめんね、去年の人とまた比べている♪ 本物と、イミテイションの違いって、何だろう? その違いって、人間にもあるのだろうか? そんなことを初めて真剣に考えさせられたのが、この曲だった。そして、それを淡々と歌える山口百恵の本物ぶりに、嫉妬した。今聴いても、あの夏が甦る。♪西陽の強い部屋の片隅 彼が冷蔵庫バタンと閉じる・・♪ 歌謡曲とはいえ、歌詞に 冷蔵庫という単語が出てくる曲は少ない。青春の熱気と冷気を同時に知った、1977年のそれは夏のこと。

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