特撮ヒーロー「アイアンキング」に感じた、哀愁とおとぼけ。 | 宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

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70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

アイアンキング

1972年は、特撮変身ヒーローが大爆発した年だった。円谷プロの「ミラーマン」、石森プロの「人造人間キカイダー」、さらに「バロム・1」や「シルバー仮面」、「快傑ライオン丸」といった人気ヒーローが次々とTVに登場する中、私が少し興味を持ったのが、写真の「アイアンキング」だったのだ。武田薬品提供の日曜夜7時放送という、いわゆるタケダアワーと呼ばれた時間帯なので、それまで観ていた番組の続きとしてなんとなく観たのが最初ではあったけれど、監督の名に「湯浅憲明」を見つけた時、妙にトクした気分でそれから見続けたのである。湯浅憲明は、大映のガメラシリーズの監督だった。東宝のゴジラに対抗して生まれた大映のガメラは、どこか弱々しくて、どこか切なくて、当時小学生だった私の心をしっかり掴んだ。60年代後期のそんなガメラへの思いが、監督の湯浅憲明に投影されたまま、アイアンキングへと発展していった。内容はよく憶えていない。ただ、変身するのが、主役の石橋正次ではなく、おとぼけ役の浜田光夫(霧島五郎役)の方だったから驚いた。原作がそうだったのだろうけれど、三枚目が変身ヒーローになるというところに、私は大映ガメラに似た哀愁を感じた。そういえば、動力源が水で、浜田演じる霧島五郎は水ばっかり飲んでいた。そんな所も、なんだか人間くさい演出で、アイアンキングの魅力になっていたと言うのは大袈裟だろうか。

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