阿木燿子という存在自体が、もうサクセスだった。 | 宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

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70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

サクセス

もう40年前になる。「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」という曲を聴いたのは。音楽的にどうとか、これがロックなのか、とかの論争はさておいて、当時 私はその歌詞にたまげた。なんじゃこりゃ、セリフ回しやんか! というのが素直な感想だった。その翌年、山口百恵の「横須賀ストーリー」を聴き、同じ作詞家だと知った。その名は阿木燿子。しかしまだ、その時点でも彼女の才能に気づくことはなかった。気づいたのは、1977年の春のこと。写真のレコジャケ「サクセス」は、資生堂の春のキャンペーンソングだったけれど、実はそのB面「愛しのティナ」に、惚れてしまったのだ。♪燃える太陽がおまえをブロンズに変えるのか 日に灼けた肌に刻み込まれた季節が眩しい 愛しのティナ、繰り返す夏ごとのヴィーナス♪なんと情熱的な、なんと男性的な。それからは、阿木燿子の詞を片っ端から聴くようになった。77年 郷ひろみの「お化けのロック」、78年キャンディーズの「微笑みがえし」、山口百恵の「プレイバックPart2」、79年ジュディオングの「魅せられて」・・。もう全ての歌詞に魅せられた。作詞を文化に昇華させたと言うとオーバーかもしれないけれど、ヘタな小説よりも、私には物語を読むことができたのだから。ちなみに、B面だと思い込んでいた「愛しのティナ」は、77年の資生堂 秋のキャンペーンソングでもあった。春と秋のキャンペーンソングがカップリングされた1枚。77年という年は、阿木燿子にとっても、「セクセス」だったに違いない。

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