世良公則のコトバが響いた、歌謡曲とロックの間。 | 宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

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70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

銃爪

歌謡曲というジャンルがすっかり消えてしまった今となっては、そのターニングポイントがいつだったか・・もはや知るよしもないけれど。私の推測としては、この人の登場あたりからだと睨んでいる。そう、世良公則の登場だ。1977年、「あんたのバラード」でYAMAHAのポプコン・グランプリを受賞。演歌ロックと呼ばれていたものの、そもそもロック歌手が当時の日本にどれだけいただろう。その音楽性よりも、まだまだ世良公則のアイドル性の方で売れていたように私は思う。つまりハッキリ言って、バンドを従えた歌謡曲という感じだったはずなのだ。3曲目のシングル、「銃爪」が、あの人気音楽番組「ザ・ベストテン」で10週連続1位という記録を打ち立てたのも、歌謡曲の範疇から遠くなかったからに違いない。ただ、ターニングポイントは、その歌詞の方。銃の爪と書いて、ひきがね。引き金よりも銃爪の方が英語のトリガーに近い。「宿無し」にしろ、「性(さが)」にしろ、「SOPPO(ソッポ)」にしろ、世良公則が歌うコトバは冴えていた。極端に言うと、その頃流行っていた阿木燿子の歌詞センスをシンガーが身につけてしまったのだ。そうなると、作詞家はもういらない。作詞家を必要としない曲は、きっと歌謡曲と呼ばないのだろう。歌謡曲もロックも、定義は知らないけれど、そのうち演歌も、シンガーソングライター演歌という時代が来るとしたら、それはまた愉快だ。

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