サーファーがいた夏、男はみんなシンドバッドだった。 | 宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

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70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

渚のシンドバッド

1976年。それはピンクレディーがデビューした年でもあるけれど、青春に最もインパクトを与えた雑誌 POPEYE(ポパイ)が創刊された年でもあった。それまでの若者が「平凡パンチ」に学んだように、あるいは「朝日ジャーナル」と語ったように、私たちの世代はPOPEYEから西海岸カルチャーというスタイルをむさぼるように吸収していった。最初に憶えたのはフリスビーで、その次がハングライダー。そして77年、POPEYEはついにサーフィンの魅力を私たちに教えた。その夏、ピンクレディーが歌う「渚のシンドバッド」のリズムとともに、サーフィンは日本中にビッグウエーブを起こしたのだ。♪サーフィンボード 小わきにかかえ 美女から美女へ ビキニがとてもお似合いですと肩など抱いて♪ と、ミーとケイが歌うたび、ますますサーフィンの波は広がって・・。ただ、サーフィンブームとは言え、流行ったのはそのファッションの方。街は、バックプリントのヘインズのTシャツに、フレアーのジーンズ、ボルトのサンダルにターコイズのネックレスといういでたちであふれ、陸(おか)サーファーという言葉まで生まれた。そこは、POPEYEの誤算だったのかもしれないけれど、海水浴と漁場のイメージしかなかった日本の海が、あの夏はすごく輝いて見えた。地元の海は西海岸になり、男はみんな、もちろん私もシンドバッドだったのだから。

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