歌でも、運動会でも、スターはいつも嵐のように。 | 宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

にしきのあきら

年齢の割には今でも若々しくはあるけれど、あの頃のにしきのあきらは、本当に若かった。
何が若かったかというと、もちろん肉体がである。昭和の人気番組「芸能人大運動会」で魅せた運動神経のキレは、いつもハンパなかった。100mを11秒そこそこで走り、走り高跳びなら1m65cmをクリアー。芸能人はこうでなければいけない! というイケメンアイドルの雛形を、きっといちばん最初に作ったのは、にしきのあきらだったに違いない。そう考えると、その後の「大運動会」で活躍した郷ひろみや田原俊彦、ましてやキムタクなんてまだまだアマチュアの部類に入るだろう。アスリートとしての動きがまるで違っていた、と私には見えた。それは1972年、写真のレコジャケ「嵐の夜」を歌っていた頃。フリフリのついた白いタキシードで熱唱していたスターっぷりが豪快だった。最近のアイドルは誰かを真似たような優等生が多いけれど、昭和の時代はどこか破天荒な歌手が多かったような気がする。昨日と今日の、春の嵐をからだに受けとめていたら、ふとそんなことを感じてしまった。 ♪嵐の夜はボクがキミを守る 雨の朝はキミが優しくしておくれ~♪ と歌っていたスターにしきの。スターと呼べる人は、心のどこかに嵐を持っているのだ。

にほんブログ村 芸能ブログ 懐かしのアイドルへ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ