反骨から愛へ。70年代を開花させた二人の音楽野郎。 | 宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

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70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-あの素晴しい愛をもう一度

加藤和彦と北山修のデュオで、写真のレコジャケ「あの素晴しい愛をもう一度」がヒットしたのは、1971年。大阪万博が開催された翌年だった。関西が盛り上がっていたせいなのか、この時代の関西フォークはなぜか熱かった。加藤和彦はこの曲の後、伝説のバンド「サディスティック・ミカ・バンド」を結成。日本のロックバンドの草分けとして、その後も音楽界に影響を与え続けることになる。対する北山修も、71年には「戦争を知らない子供たち」や「花嫁」を作詞しビッグネームに。堺正章の「さらば恋人」という名曲も、実は北山修がこの年に創った作品である。精神科医にならずに、そのまま作詞家を続けていたら、阿久悠にも勝る才能で、きっと名曲を世に送り出していただろう。私は、この二人が最初に組んだフォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」が好きで、子供ながらいつも口づさんでいた。思えば、当時のガキはホントにませていたのだ。「あの素晴しい愛をもう一度」にしたって別れの詞である。♪心と心が今はもう通わない・・♪と言い切った歌詞がクールで、当時としては潔かった。二人の才能は時代の風を受けて上昇していったが、その頃生まれた関西フォークは、「あのねのね」の出現あたりで、なぜかお笑いの彼方へ消えていったのだ。

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