人生もデザインだということを、横尾忠則で感じた頃。 | 宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

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70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-横尾忠則

70年代は大阪万博でスタートした。毎日が劇的で、出逢うもの全てが新しかった。なぜ、あんなにもあの時代は輝いて見えたのだろう? それはきっと、日本という国そのものが青春だったからだ。進歩する明るい未来。それだけに、その青さを、その未来を憂う人々もいた。三島由紀夫や寺山修司。そして、写真のポスターを手掛けた横尾忠則もそのひとりだった。70年、平和を闊歩する若者に横尾忠則は「少年マガジン」の表紙で問いかける。平和とは? 人生とは? 矜持とは? 星飛雄馬をモノクロで描いたその表紙の少年マガジン欲しさに、うどん屋の友達に頼んで、店の一冊をチョロまかしてもらったことを憶えている。(けど、そのマガジンはどこにいったんだろう?) 写真のポスターに登場する高倉健や唐獅子牡丹も有名だけれど、ピラミッドやUFOが飛び交う不思議な世界もまた彼だった。その多色のアートが、後に私をグラフィックデザインの世界へと誘うことになるのだけれど、当時はまだデザインと言うと、ピエールカルダン?と聞かれたくらい、アパレルだけがデザインだと思われていた頃。横尾忠則の登場は、私にさえ勇気を与えてくれた。1967年、寺山修司著の「書を捨てよ、町に出よう」の表紙も横尾忠則作。この歳になると、私にもわかってくる。「スマホを捨てよ、町に出よう」そう、叫びたくなる。

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