
昭和のディスコと言うと、バブル時のジュリアナやマハラジャを連想されがちだけれど、それは違う。ディスコブームは、70年代初めのソウルミュージックに始まる。一気に開花したのは、75年ヴァン・マッコイの「ハッスル」、そしてKC&ザ・サンシャイン・バンドの「ザッツ・ザ・ウェイ」あたりだろう。ソウルと言えば、スタイリスティックスかKC&ザ・サイシャイン・バンドだったあの頃、ディスコはロックを抑えてブラックミュージックが完全に占拠していたのだ。まだまだ小さな箱(ディスコ)も多く、アルコール以外の飲み物も置いていたから、未成年でも入れた時代。なのに、入れそうで入れなかった時代。普通の大学生やサラリーマンが入るようになったのは、いつ頃からか ? きっと、こんな曲が流行り始めた78年頃からだと私は思う。写真のレコジャケはアラベスクの「ハロー・ミスター・モンキー」。ディスコサウンドを明るく仕上げた、と言えばわかりやすい。同年「レッツ・オール・チャント」とともにヒットし、ディスコの大衆化を加速させた。その後、Y・M・Oのテクノポップへとサウンドの流れが変わった頃から私は行かなくなったけれど、ディスコはすっかり大衆のものになってしまった。大衆に迎合した時、どんなカルチャーも終わりを迎える。ディスコという昭和の文化も、そうしてバブルとともに壊れたのかもしれない。
