ボウリングをメジャーにした、さわやか律子さん。 | 宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-中山律子

1971年、空前のボウリングブームが押し寄せた。どこのボウリング場でも、2時間、3時間待ちはザラだったけれど、それでも投げたいと思う程、初めて知ったストライクの感触はたまらなかった。そのブームの火付け役が、写真の広告に登場している中山律子だった。70年に女子プロボウラー初のパーフェクト(全ストライク300点)を達成した時から、中山律子とボウリングブームが始まったと私は記憶している。中山律子と聞いて、♪律子さん、律子さん、な・か・や・ま 律子さん♪と口ずさんでしまった人は、あの頃をしっかり生きていた人だろう。やがてブームはおもちゃにまで広がり、写真の様なボウリングゲームも続々と登場したのだ。そして、その真っ只中に放送されたドラマ「美しきチャレンジャー」でブームはクライマックスを迎える。主人公の小鹿みどりを演じた新藤恵美のどこかセクシーなプロボウラー姿に、ファンはますます増えた。日曜の夜7時半、ボールを投げ終えた新藤恵美のスカートの揺れに、心をパンチアウトされた男性も多かったに違いない。「美しきチャレンジャー」が最終回を迎える頃、ボウリングブームは新藤恵美とともに儚く去っていった。

人気ブログランキングへ