
1970年3月14日、ついに大阪の千里丘陵で「万国博覧会」が開催された。万国博覧会が何を意味しているのかなんて、全然わからなかったけれど、その夢舞台のあまりの晴れやかさに全国の子供たちは興奮した。万博の情報はいろんな人が語っているので割愛するけれど、関西に育った私としては、人生最大の自慢だと言ってもいいくらい。それほどに、近くで開催されたことが誇りだったのだ。少年雑誌では前年から特集が組まれ、万博のパビリオンに詳しいというだけで学校の人気者にもなれた。その代表スターが、「太陽の塔」なのだ。写真の、この太陽の塔はもちろん万博のお土産。会場で売っていた陶器製だけれど、当時はまさに憧れの置物だったのである。作者の岡本太郎という名前もそれで知ったし、あんなに大勢の外国人を見たのも初めてだった。月の石や電気自動車の感動を超えて、人間洗濯機を目にした時にはどこか気恥ずかしい未来に出会ったような気さえした。何よりも、その未来が全て近くで起こっているというドキドキ感が、たまらなかった。輝く未来があった頃。今の大阪には、あるだろうか? 万博の40周年記念事業として、現在は太陽の塔の目が点灯するらしい。本当の未来を、ぜひとも照らして欲しい。
