明るい悪ふざけを、ドリフターズに学んだ頃。 | 宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$BOSSのブログ-ドリフ

あの時代、ドリフターズの人気は凄かった。TBS系「8時だヨ!全員集合」の最高視聴率が50.5%(73年)というから、国民の半数が観ていたということになる。写真左は、丁度そんなドリフ絶頂期のトンボ鉛筆の雑誌広告だ。トンボMONOの景品だったこの「首チョンパ」も、今ではかなりの高値で売買されているらしい?。写真右の学年誌の付録を見てもわかるように、まだ志村けんは参加していない。そのせいかどうかは別にして、この頃のドリフターズはコミックバンドのフンイキも残し、どことなく渋かった。♪ 今日もあの子から 真赤な封筒で 手紙が来ました きっと会ってちょうだい・・♪なんて曲がヒットしたのが72年。「真赤な封筒」というタイトルからしても、まだまだ歌謡界や賞レースなんかを意識していたような気がする。歌だけでなく、お笑いにしても、なんとなくみんなでまとまっているという感じだった。それがどうだろう、志村けんが加わってからのドリフは変わった。ひとりが突出したお笑いチームに変貌、よく言えば明るく、悪く言えば子供っぽくなったのかもしれない。私なんかは、74年に脱退した荒井注のギャグ、「なんだ、バカヤロー」がいちばん好きだったのだけど・・。

人気ブログランキングへ