さて最終日

日頃の行いもあってか電車遅延に巻き込まれ、最終出勤日にまんまと遅刻よだれ

身辺整理中お電話いただいたりとかでどんどん時間が過ぎるゲッソリ


そんな時に仲良し課長から呼ばれ、まじ時間無いんでーゲローとか話しながら歩いていたら例の会議室まで連れられて、はっ!滝汗と思ったら異動前の部署の方々が揃っていた。


部長と所属長からお別れの挨拶をいただいた時には、何故か辞める理由がご主人の体調による家庭の事情って事になっていたが、所属長が最後に「全ては自分が異動させてしまったことが原因」と、謝罪の言葉を口にした。


コロナ禍の不要不急のあの時期にも

「飲みに行ったって言わなきゃ分からない!」

と言って飲みに行くような適当な所属長だったから、まさかそんな言葉をかけてもらえるとは思わなかったので、その言葉を素直に受け取り、それまでのモヤモヤはそこで消化し皆さんに感謝の言葉を述べることができた。


そしてこれまで大変お世話になった「出来る課長」には、そもそも2年前の事務所の移転の時に、通勤時間が長くなるから辞めようとした私に、最短の通勤時間=高い定期代でも通えるよう尽力してくださったため、

「課長の期待に応える前にこういう結果になりすみません」と伝えたら、

「いえいえ。常に周りのためにと頑張ってくれて皆助かってました。それこそ私の期待以上に働いてくれてましたよ。」

と菩薩様のような言葉をいただき、危うく泣くとこだったover50真顔汗


もともと私がこの部署に来たばかりの頃、辞める方にこの課長が労いの言葉をかけていたのを見て、私も辞める時にはこう言ってもらえるよう頑張ろう!と思ってやってきたから、まさに感無量だった。


最後には送別の品までいただき、そこには異動した方々の名前もあったが、その中にまさかの「ポン課長」の名前もあった。


謎の急な異動の後は誰が連絡しても音沙汰なしと聞いていたから驚き、電話をしたら出てくれて(笑)辞めることを残念がってくれた。

「本来なら最後に会いに行くべきところですがね、今日人間ドッグなんで〜アハハハハー!」

と変わらず大きな声で胃カメラが辛かったって話が続いたので、私も負けじと胃カメラオエオエ記を披露したりゲラゲラ笑ってお別れの挨拶をした。


「もう辞めよう…」と決めた時、同じ派遣会社の友人二人にはその事を早々に伝えた。

一人はじっくり話を聞いてくれて賛成してくれ、正式に決まった時は喜んでくれて、未来は明るいよ!と鼓舞してくれた。

そしてもう一人は「仕事無いの辛いだろうけど辞めないでよー寂しいよー」とこのまま続けてほしいと言い、所属長から他の仕事を打診された時は

「いいじゃん!あそこの所属長と仲良しじゃん!!残って一緒に働こうよー飛び出すハート

とずっと辞めないでコールを送ってくれた(笑)


真逆な反応だったけどどちらも有難く、パーソナルスペースが広い私にもこんな心を許せる仲間ができたことも貴重な7年間だった。


ダンナの病気が発覚してから仕事と家庭が両立できるよう特例の措置をしてくださったり本来派遣先には感謝しかなかったので、色々あったこの半年は羨んだり負の気持ちが勝りそうな時もあったけど、こうやって最終日を晴れ晴れとした気持ちで迎えられたことは、周りの方々の優しさのみと感謝し、自己満足に尽きるが全てやり切った感で終了できたことは大変贅沢なこと。



皆さんからいただいたもの。
ビールグラスにお米とか分かってる〜(笑)


追記

その後は2週間ほどの有給使ってゆっくりしようと思っていたけど、派遣会社が商品を在庫にするはずもなく、一週間後には職場見学し新しい職についたとか担当者有能説〜よだれキャハッ