お経について感じている事
どうもどうも しん です。
今日は日曜日の定例のさとチカ UP曜日です。
まあ時刻的に月曜日になると思いますですが。
月曜日か〜〜〜
会社か〜〜〜〜
早起きか〜〜〜
行くのめんどい〜〜〜
などなど、駄々こねる子供みたいな感覚のアラフィフ、、、、
いや、気分が若いだけですってば!!
今日も働きましたよ。
会社が休暇でも家では働いていて、365日寝てますから(は?)
と言うのも息子の誕生日が近くて、なんか描いてやろうとか
思いまして、私の変な頭の中の再現をしたのが
コレ
↓
ね? 変でしょ?
さとこにも「は?なにコレ?」とか言われましたから。
このイラストを、のし紙にして桐箱を包むんです。
中にはなんちゃって100万円入れて、、
いやね、描きながら思ったんですよ。
そうか〜〜〜虚無僧のかぶり物ってあるよな?
これかぶって通勤すると、周りから変な人扱いされるから
周りが空くかな? とか思ったりして。
まあ見られても顔が分からないから、でっかいサングラスかけてる
ようなものですよ。
いけるかな? とか思ってネットショッピングで調べてみたら
5万円近くしやんの! 高っっ!!
ん〜〜〜〜他のかぶり物は??
なんかコスプレ方向に、、、
家族から、というか さとこに常々強調されている
あなたは「変」
そうです、私が変なおじさんですっっ!!
あ〜〜〜そうそう、私が憧れるのは
高田純次さんみたいな、サラッとギャグを言えるジジイですね。
ご本人はTVで見せる姿と異なり、かなり頭の切れる方と
思いますが、俳優として私的に最高点です。
何しろ さとこには、現時点の私のギャグは
つまらない
と激しく言われてますから(泣)
そんな私に対して日々超厳しい さとこは
今日なに書くの?
の続きは後半にて
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こんにちは、さとこチカラのさとこです。
いつもご愛読ありがとうございます。
少しずつ涼しい風も吹く様になり
一時の猛烈な暑さが落ち着いてきてくれて
過ごしやすい感じがして来ています。
新学期も始まり子供達も学校に通い始め
コロナも夏休みよりは少し落ち着いて来ている感じがしています。
国会でも話し合われているそうですが
コロナの扱いをもう少し分類を下げて
子供達の日常を取り戻せないかと訴えている議員さんもいます。
この2年半、子供達の大事な青春は本当に束縛されました。
消えた学園祭、消えた修学旅行、消えた部活の大会、、
本当に苦しんでいました。
自殺や不登校、ネットいじめなど心の傷を負った子も沢山います。
それだけではありません。
家庭の主婦も大変でした。
リモート対応で家中小分けにしてネット環境を整え
お昼もバラバラの時間に家族分用意し
多くのご家庭でご主人のモラハラや家庭内暴力もありました。
仕事を失ったり減給した人も多くいます。
みんなが混沌とした日々を送り
発散の場もなく生活だけが苦しくなる日々。
本当にコロナは多くの問いかけを人々にしました。
マスクなどのモラルについて
健康管理について
自分の欲望と人への配慮とのバランスについて
悲しい思いをした人への対処について
沢山の課題を私たちに与えました。
このような状況下、人々の審判が繰り返された気がします。
どこまで冷静に対処したか?
どこまで自分をコントロールでき人や家族を思いやれたか?
それらの事の結果がそろそろ出て来そうです。
欲を抑えられず
感染よりも自我を優先した人
一生懸命真面目に感染予防した人
周りからの信頼もそれに比例したと思います。
コロナと言うフルイで人々の本性が分かった所も多々あります。
今後それらの事からまた新たな人間関係ができると思います。
今回のお話ですが
このコロナのせいで亡くなった方や法事ができなかった、お葬式が出来なかった人も
多いかと思います。
お葬式でよく唱えられる「お経」について
私なりの感じていることを書いていこうと思います。
もちろん私はお坊さんの様に修行などしておりませんので
お経の専門家でもそれほど深く習ったわけでもありません。
なので知識が足りない事もあるかもしれませんが
自分なりに感じていることを書かせていただこうと思います。
私はコロナ前に立て続けに父親を含む親戚が何人も亡くなり
お葬式ばかりの時期がありました。
色々な宗教で多少お経も違いましたが
お坊さんが葬儀の時にお経を読むのを
色々と聴いて参りました。
私の祖母は毎日お経をあげる人でしたが
お葬式の時のお経は故人の名前や戒名、死者への弔いの言葉など含まれており
普通の般若心経だけではないです。
その様な死者をあの世に送り出すためのお経というのが
私はいつも好きで聞き入っています。
祈りの中に少しでもあの世で成仏できるように
無事あの世に辿り着くようにと願いを込めた文言が
沢山含まれていることが多いです。
戒名についても色々な考えがあるとおもいますが
現世の名前を捨ててあの世の名前を新たにつける事で
未練を残さないための工夫なのだと思います。
ただ、あまりにも法外な値段で
しかも家族が亡くなったすぐ後に数十万から100万円単位でお坊さんが
請求することには私は懸念を持っています。
亡くなった家族がいて悲しんでいる人に
なぜその様な負担を強いるのか?
本来ただあの世行きの切符というか
未練を残さないで仏様のところに行くためだけのものだったはずなのに
戒名にしても葬儀費にしても
残された家族に一気に現金で大金を払えというのは
仏様の意図することとは違う感じがします。
私も祖母、父と葬儀を出しましたが
このことについては本当に疑問を感じています。
ただ、お経に関してはそれほどの料金ではない事が多く
そうは言ってもものすごく雑なお経で数万とるお坊さんもいて
本当にこの人たちは修行したのかな?ということもあったので
何とも言えませんが
ちゃんと親族に心を込めてお経をあげてくれるお坊さんもいますので
神仏に支えている人にはそれなりの礼儀を配慮して欲しいものだと思います。
このあたりの色々な食い違いがあって
戒名についてもお経についても
あまり良くないイメージをもつ人が増えたのだと思いますが
本来はもっと庶民的な物で
身近な物だったのではないかな、、と思います。
お経についてですが私が今まで感じて来たことは
まずお葬式のお経は本当に必要なんじゃないかな、、と思います。
それは亡くなった人の気持ちを鎮めることと
親族の気持ちを沈める効果が感じられるからです。
どちらかと言うと残された人にとって気持ちをおさめる方がメインな様に思います。
お経をあげてもらうとその文言で
生前の事や色々な話が少しですが織り交ぜられる事があります。
それを聴いていると涙がでたり懐かしく思ったりしながらも
天に召される文言のところでは「あ〜、、これで天に昇っていくんだな、、」という気持ちに
なっていくのです。
お経を唱えている時の空気というのは
少し冷たいような暖かいような静かな感じの空気がその場を大きな渦を巻いて
静かに皆の気持ちをおさめていく感じで
一つ一つの言葉というよりは神聖な気持ちにさせて
冷静さを死者にも親族にも与える為の「場」を作る感じがします。
その空間は結界が張られているような感じがあります。
その辺りはお坊さんの力量もかなり差が出る感じがします。
力があるお坊さんとそうで無いお坊さんでは
そのお経ではれる結界の強さが違う感じがあります。
修行がというよりはそのお坊さんの真剣身や人間性が大事なように思います。
つまり、人として本当にお経に祈る気持ちを込めているかどうか?が大事な様に思います。
言霊というのは私はあると思っていて
念というのもあると思います。
なので人が集中する加減や思い入れのある言葉を発するかどうかというのが
大事に思います。
これはお経だけではなくキリスト教で言えば讃美歌なども同じだと思いますし
他の宗教でもお経の代わりになる物はあると思うので
それぞれ「祈りの度合い」かな、、というふうに思います。
昔のヨーロッパの教会など見ると
その祈りの強さに圧倒されます。
宗教というのはいい時も悪い時もありますが
「祈る力」を一つにする力や気持ちを一つにする力、
お互いに辛い状況を乗り越える教科書として役に立つことは多いです。
なので私は仏教徒ですが日本人でも信心深く無い人はお経はあまり効果が
ないかもしれません。
ただ唱えるだけという事ではあまり意味をなさない様にも思います。
また、よくあるのが悪霊が近づいた時にお経が役に立つか?という事です。
私が思うには今までの経験からだと
悪霊というのは信心深くはない事が多いように思います。
なので信心深くない人にお経をあげても効かない可能性は高いです。
もし普通の人ではなくお坊さんなどで悪霊退散のお経を知っていたりすると
多少違うかもしれませんが
お坊さんを見て従おうと思うかどうか?も差が出ると思います。
良くある般若心経は弟子に対しての教えみたいな文言ですが
心得的な文言が多いので効く場合と効かない場合があると思います。
なので信心深くない悪霊相手で、しかも普段あまり信心深くない人が唱えると
それは「何やってるの?効かないよ」と言われてしまうかもしれません。
でも、普段からお経を唱えていたり
意味を良く分かっていたり信心深かったりする人が祈りや念を込めて唱えれば
そこには言霊が入りますから違う効果が出てくるように思います。
どんな事でもそうですが
「信じるものは救われる」という言葉がありますが
自分が信じている事を持っていれば
それがどんな呪文であろうと「念」が込められると思います。
なのでもしもの時に備えたい人は自分に合いそうな魔除けの呪文を
用意しておくことも良いかもしれません。
また、お経で無くてもお守りでも良いと思います。
お守りも私から見るとそれほど強くないものも多いのですが
それを信じるかどうか?の方が重要に思えます。
遠いところに苦労してもらいに行ったとか
誰かのために祈りを込めて授かったとか
何か思いがこもっている事が大事に思います。
そしてもらった人が大事にすればするほど
そこには色々な物が集まるように思います。
どんな事でもそうですがその人次第に思います。
また、コロナ禍でお葬式をあげれなかった、
金銭的な事情でお葬式をあげれなかった人もいると思います。
その様な人たちが成仏できないか?というとそうでもないと思います。
お経はどちらかというと残された人のためにある様に思います。
それがないと天に登れないわけではなく
「成仏できます様に」と祈ってあげることが大事かと思います。
また、コロナで会う事ができない時に
孤独死した人は成仏できないのか?と言うことも心配する人もいるかもしれません。
それも同じでその人のそれまでの人生や親族の祈り次第かと思います。
逆にお葬式をあげたとしても
生前卑劣な事を沢山やった人は成仏できないでしょうし
曲がった生き方や考え方の人は成仏できないと思います。
結局は生きている時の考えというのは霊視で見ていてもあまり変わることはありません。
時々生前厳しい人が立ち場を解放されて優しい人になることはありますが
生前捻くれた人が変わるか?というとそれはあまり変わらない感じがあります。
でも家族にきちんと送り出してもらうと色々と教育はされるように思います。
それもこれも、生前の家族との付き合い次第に思います。
今回お経について私の感じていることを書きましたが
私はあまり自分自身お経をいつも唱えてはいないのですが
日々仏壇には手を合わせています。
忙しい時は疎かにもなりますが
その時いつもご先祖様に家族の事を願っています。
そのせいか、色々家族も苦労はしていますが
危機一髪で命が助かることはとても多いです。
また、苦労についてある方が行っていましたが
苦労は人生修行のためにご先祖様がくれていて
偉人というのは皆苦労しているのはそのためで
守られている証でもあるというのが印象的でした。
確かにそういう部分もあるかもしれません。
人間苦労がない方がいいですが
その困難をどう乗り越えるか考えることが大事です。
試練はあまり嬉しい物ではありませんが
「試されている」といつも感じます。
「どういう行動を取る事が正解なんだろう?」といつも思います。
それは一人で解決するばかりでなく
誰かに相談したり苦労を分かち合うと言うことも大事に思います。
その様な時に般若心経や写経で心が落ち着く人は
ぜひ有効活用すると良いと思います。
ちなみに私はが悪霊が近くにいるかも、と思ったり何かあった時に
どうしているかというと
以前は「何妙法蓮華経、何妙法蓮華経」と唱えた時期もありますが
今は何も唱えずとにかく静かに動揺しないように冷静に心を保ち
気がつかないふりをしてその場を離れます。
でもそれは沢山の霊を見て少し慣れているからできる事だと思います。
例えば、目の前にのっぺらぼうがいて「怖い!」と思うのが普通で
「冷静に動かなきゃ、気がつかないふりしなきゃ」と瞬時に思えたりはしないと
思うからです。
私ももちろん「怖い!」とは思いますが
慣れはあると思うので人それぞれかと思います。
どうぞ皆様も色々苦労はあると思いますがお幸せになってください。
応援しています
頑張ってください
それではまた
さとこ
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さとこのお経に対する考え方はこんな感じです。
私が読んだ時に、あ!これは!
と感じたのは
結界
確かに力のある方の唱える者にそれを
張る事はできそうに思いました。
どの宗派でもそれはありそうです。
ただ「なんちゃっての方」が外見だけを真似して
行う事に、効果は無いでしょうね。
それを見抜く事は、その方が
どのような姿勢
どのような言動
どのような作法
などを行うか?
を注視していると分かるかもしれません。
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