ソース焼きそばの話
あ~~ 会社が始まってやっと一週間が終わりましたよ、、('A`)
ん~~、、何かこう新年が明けたって感じがしないんですね。
感覚的に普通に週末がきて土日があって、また働き始めたというか、、
おかし==な===長い連休だったはずなのにな~~
あ、やっぱ貧しいからどこにも行っていないのが原因か? ( ;∀;)
でも一応、少し遠出して大きな神社の初詣とかも行ったんですよ。
途中、前を走る車のナンバープレートの数字が「・・・1」というのを
2台続けて目撃しまして、あ!これは何か吉兆か!?
と期待していたんですけど、結果としては娘が引いたおみくじの番号が「1番 大吉」
というものでした。
目に見えるものはメッセージと分かってはいるんですが、何となく中途半端な感じ。。
でも少しラッキーだったのが、屋台の焼きそばを超大盛りで半額におまけして
もらった事かな?
その焼きそばの屋台も閉店しようとしているところに私どもが買いに行ったところ、
残りも少なかったように見えたので「全部ください」とオジさんに伝えたところ、
それだったら半額で良いと。
で、入れ物に入れてもらったんですけど、大きなパック詰めに5個にもなりまして、
しかもそれが溢れんばかりの超大盛り! これは得した気分でラッキーでしたね。
家に帰ってきてから、子供に「焼きそばって誰が発明したの??」と
聞かれまして、まあとりあえずPCで調べてみた訳なんですが、どうもソース焼きそばの
起源がハッキリしていないみたいなんですよ。
最近、古くからある富士宮焼きそばとか横手焼きそばとか? ご当地グルメで、もてはやされて
いるみたいなんですが、誰が最初に作ったのか? はどこも主張していなくて謎だったんです。
謎ですよ、なぞ!!
謎と言えばホラ、さとチカをご愛読の皆様、おまんたせしました ( ゚∀゚)ノ
さとこ さんに聞くしかないじゃないですかっっ!
寝た子を起こす、しん のおならの匂い(実話)じゃないですけど、
話を聞けば聞くほど目が冴えて、そのリアル話にアゴが外れてホゲホゲになるのが
このブログの主旨!
そして種子といえば、ひまわりの種!
もうね、インコとか大好物で食べまくり。
まあ、よくそんなくちばしで器用に殻と中身を選別できるな、、と
考えると居てもたっても居られませんよね?
え? インコとかどうでも良いから、焼きそば の話始めろ??
もうね 「焼っきやきにしてやんよ!」(初音ミク風)
ーーーーーーー
「この間屋台で買った焼きそばは超大盛りで、かなり満腹になっちゃったよな。。
でさ、さっき子供に焼きそばって誰が考えたの?と聞かれたの。
調べたんだけど、それが謎なんですよ。謎ですよ謎!! 謎といえば、ほらここに
解明できる人が居るじゃあ~~~りませんか(古い)」
正月休みも明けて、仕事から帰ってきた私は夕飯に出された焼きそばを見て、
ふと正月休みに子供に聞かれた事を思い出したのでした。
「え? なにをゴチャゴチャ言ってるの? この間食べた焼きそばは大盛り??
あ~そう言えばそうだったね、私は食べきれなかったよ。あ、すみませんね
また焼きそばで、、」
いや、まあ好きなんで良いんですけど、、あの、、
誰が考えたのかちょ~~~~~と視てくれまいか? 哀れなオヤジのお願いでござる。
「なになに?? 焼きそばは誰が考えたか? そりゃ日本人でしょ。
アフリカの人が考えた食べ物とかじゃないしね(笑) え?キチンと視てくれ?
あ~~そう言えば食べ物の起源とか視た事ないかもね、まあじゃあ後で」
オオッ!!!
今年は素直だぞ?? 何か企んでいるのか?? とりあえず警戒だな (|| ゚Д゚)
ーー
ー
(小一時間後)
「新宿、、、思い出横丁かな、40歳代の男の人で顔が四角っぽい。頭にねじり鉢巻きをしてる、、
思い出横丁に小さな居酒屋を持っていて、それだけでは生活が厳しいから近くの大通りで
屋台のラーメン屋を出しているね。。どうもこの人が最初にソースの焼きそばを作った人みたい」
おっといきなりそこまで視ますか。
つまり新宿で初めてソース焼きそばが出来たと。
(思い出横丁というのは新宿西口を線路沿いに北側に向かった先にある、闇市の名残のある
小さな店が集まった地帯です)
「戦争が終わってしばらく後くらいの光景だな。まだ思い出横丁の前の大通りも砂利道だし車も
古い、、建物なんかもポツポツある感じ。当時ラーメンを屋台で作るにはまず麺をゆでる
大量のお湯とスープ、それに丼とかを準備して行ったみたいだから、相当な重さになるんだよね。
だから売れればいいけど売れなかった場合は相当な疲労感が出るよね。余った食材も何とか
処理しなきゃいけないし。この人もやっぱりこんな境遇が何度もあってどうにかそれを
解決しようとした」
ふんふん。
確かに麺とかはすぐに痛んじゃいそうだし、余れば損を仕兼ねないよな。
食べ物の商売は当時も大変だったろうな。
「悩んだ末に考えたのは少量のスープに醤油を足して、余ったモヤシや肉の切れ端を麺と一緒に
煮込んだ食べ物。とりあえず自分用の物を作ってみたんだけど、出来たのは焼うどんの
ラーメン版みたいな感じ。何とか食べられる感じがしたんで、試しに屋台でラーメンと共に
売ってみたんだよ。でもお客さんには味が薄くてこれならラーメンの方が良いと言われて
しまった」
ラーメンと同じ材料を使って違う食べ物を作ってみたのか。。
余った材料で何とかしようとしている様子が良くわかるよ。
でもお客さんには今ひとつ不評だった訳だね。
「だけど屋台でスープやお湯を運ぶ手間を考えると、はるかに楽そうな食べ物だったので
このオジさんは何とかしたいとずっと思っていたんだよね。手間を省くために作り置き
もしたいし。水分を飛ばして味を濃くしてみたり、思い出横丁のお店で出していた角煮を
加えてみたり。。その内、角煮から出て来た油を加えるとあまりベチャベチャしたものに
ならないと分かったの。
ある日、奥さんが自分達の昼食用に野菜炒めを作っていたんだけど、丁度お米が足りなくて
仕方なく余った麺を入れて炒めてみた。それはそれで食べれたんだよね。
そんな事を試行錯誤していくうちに、野菜を角煮から出た油で炒めた油炒めソバみたい
なのが出来たの。この時点ではまだ醤油味のものだったんだよ」
終戦直後は油は貴重だろうね。
だから肉から出たラードを使ったのか、、まあ、逆にコクが出そうな味付けだよね。
そこに麺を入れた食べ物か。 ふ~~ん、これはこれで面白い食べ物に思える。
「その食べ物はだんだん人気が出てきたんだよ。それでお店の方でも出してみたんだよね。
でもまだ味が薄いとか食べた感じがしないと言われていたの。ある日、味が薄いと感じた
お客さんが醤油と間違えてソースをその油炒めソバにかけちゃったんだよ。もともと
お店のソースはコロッケとかとんかつ用のものだったんだけどね。そしてそれを食べた
お客さんがこれはすごく美味しいと。騙されたと思って主人に食べてみなと勧められて
食べてみたら美味しい。それが発端で油炒めソバにソースをかける食べ物を提供したの。
ソースで炒めると言ってもまだまだ醤油ベースにソースを加えて炒める程度だから、
今の焼きそばとは少し違うけどね」
油炒めソバの味が薄いと感じたお客が、間違ってソースをかけてしまったのが発端?
あ~~~そうやって偶然に味付けされた物が原型なのか!
「これなら冷めても味が濃いから食べられるし、何より材料のコストも安い。お土産に
持って帰りたいというお客さんも増えてきた。当時、食べ物のお土産というと寿司や焼き鳥
程度で、高価だったり汁が垂れたりして今ひとつだったけど、この商品は庶民的な値段だし
汁も垂れないからもってこいの商品だった。それで爆発的な人気が出て、周りのお店も
作り始め他の地域にも広がっていったの。それからどんどん改良されていってソースが
メインの焼きそばが出来た、、という訳」
わ~~~凄い凄い!
コストもかからないし屋台でも楽に調理できるし、しかも安い。
だから屋台でも売られるような食べ物になっていったか!
いや===こんな話だったのか~~~
え? 何? 作った焼きそばが余っているから、明日の晩ご飯も
焼きそば??
うは======== ( ;∀;)
ーーーーーーー
ソース焼きそばの発祥は、各地で起源を主張していますが、さとこ が視た最初は
こんな光景でした。多くの人が集まり、そして多くの物が集まったであろう新宿が
いち早く戦後スグから発展し、その人達のために多くの飲食店も有ったと思います。
そして、そこで発明されたソース焼きそばの原型が鉄道網で各地に伝わっていったのも
何となく分かる感じがします。
料理の起源は時として偶然の産物から出来る事もあるみたいですね。

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感覚的に普通に週末がきて土日があって、また働き始めたというか、、
おかし==な===長い連休だったはずなのにな~~
あ、やっぱ貧しいからどこにも行っていないのが原因か? ( ;∀;)
でも一応、少し遠出して大きな神社の初詣とかも行ったんですよ。
途中、前を走る車のナンバープレートの数字が「・・・1」というのを
2台続けて目撃しまして、あ!これは何か吉兆か!?
と期待していたんですけど、結果としては娘が引いたおみくじの番号が「1番 大吉」
というものでした。
目に見えるものはメッセージと分かってはいるんですが、何となく中途半端な感じ。。
でも少しラッキーだったのが、屋台の焼きそばを超大盛りで半額におまけして
もらった事かな?
その焼きそばの屋台も閉店しようとしているところに私どもが買いに行ったところ、
残りも少なかったように見えたので「全部ください」とオジさんに伝えたところ、
それだったら半額で良いと。
で、入れ物に入れてもらったんですけど、大きなパック詰めに5個にもなりまして、
しかもそれが溢れんばかりの超大盛り! これは得した気分でラッキーでしたね。
家に帰ってきてから、子供に「焼きそばって誰が発明したの??」と
聞かれまして、まあとりあえずPCで調べてみた訳なんですが、どうもソース焼きそばの
起源がハッキリしていないみたいなんですよ。
最近、古くからある富士宮焼きそばとか横手焼きそばとか? ご当地グルメで、もてはやされて
いるみたいなんですが、誰が最初に作ったのか? はどこも主張していなくて謎だったんです。
謎ですよ、なぞ!!
謎と言えばホラ、さとチカをご愛読の皆様、おまんたせしました ( ゚∀゚)ノ
さとこ さんに聞くしかないじゃないですかっっ!
寝た子を起こす、しん のおならの匂い(実話)じゃないですけど、
話を聞けば聞くほど目が冴えて、そのリアル話にアゴが外れてホゲホゲになるのが
このブログの主旨!
そして種子といえば、ひまわりの種!
もうね、インコとか大好物で食べまくり。
まあ、よくそんなくちばしで器用に殻と中身を選別できるな、、と
考えると居てもたっても居られませんよね?
え? インコとかどうでも良いから、焼きそば の話始めろ??
もうね 「焼っきやきにしてやんよ!」(初音ミク風)
ーーーーーーー
「この間屋台で買った焼きそばは超大盛りで、かなり満腹になっちゃったよな。。
でさ、さっき子供に焼きそばって誰が考えたの?と聞かれたの。
調べたんだけど、それが謎なんですよ。謎ですよ謎!! 謎といえば、ほらここに
解明できる人が居るじゃあ~~~りませんか(古い)」
正月休みも明けて、仕事から帰ってきた私は夕飯に出された焼きそばを見て、
ふと正月休みに子供に聞かれた事を思い出したのでした。
「え? なにをゴチャゴチャ言ってるの? この間食べた焼きそばは大盛り??
あ~そう言えばそうだったね、私は食べきれなかったよ。あ、すみませんね
また焼きそばで、、」
いや、まあ好きなんで良いんですけど、、あの、、
誰が考えたのかちょ~~~~~と視てくれまいか? 哀れなオヤジのお願いでござる。
「なになに?? 焼きそばは誰が考えたか? そりゃ日本人でしょ。
アフリカの人が考えた食べ物とかじゃないしね(笑) え?キチンと視てくれ?
あ~~そう言えば食べ物の起源とか視た事ないかもね、まあじゃあ後で」
オオッ!!!
今年は素直だぞ?? 何か企んでいるのか?? とりあえず警戒だな (|| ゚Д゚)
ーー
ー
(小一時間後)
「新宿、、、思い出横丁かな、40歳代の男の人で顔が四角っぽい。頭にねじり鉢巻きをしてる、、
思い出横丁に小さな居酒屋を持っていて、それだけでは生活が厳しいから近くの大通りで
屋台のラーメン屋を出しているね。。どうもこの人が最初にソースの焼きそばを作った人みたい」
おっといきなりそこまで視ますか。
つまり新宿で初めてソース焼きそばが出来たと。
(思い出横丁というのは新宿西口を線路沿いに北側に向かった先にある、闇市の名残のある
小さな店が集まった地帯です)
「戦争が終わってしばらく後くらいの光景だな。まだ思い出横丁の前の大通りも砂利道だし車も
古い、、建物なんかもポツポツある感じ。当時ラーメンを屋台で作るにはまず麺をゆでる
大量のお湯とスープ、それに丼とかを準備して行ったみたいだから、相当な重さになるんだよね。
だから売れればいいけど売れなかった場合は相当な疲労感が出るよね。余った食材も何とか
処理しなきゃいけないし。この人もやっぱりこんな境遇が何度もあってどうにかそれを
解決しようとした」
ふんふん。
確かに麺とかはすぐに痛んじゃいそうだし、余れば損を仕兼ねないよな。
食べ物の商売は当時も大変だったろうな。
「悩んだ末に考えたのは少量のスープに醤油を足して、余ったモヤシや肉の切れ端を麺と一緒に
煮込んだ食べ物。とりあえず自分用の物を作ってみたんだけど、出来たのは焼うどんの
ラーメン版みたいな感じ。何とか食べられる感じがしたんで、試しに屋台でラーメンと共に
売ってみたんだよ。でもお客さんには味が薄くてこれならラーメンの方が良いと言われて
しまった」
ラーメンと同じ材料を使って違う食べ物を作ってみたのか。。
余った材料で何とかしようとしている様子が良くわかるよ。
でもお客さんには今ひとつ不評だった訳だね。
「だけど屋台でスープやお湯を運ぶ手間を考えると、はるかに楽そうな食べ物だったので
このオジさんは何とかしたいとずっと思っていたんだよね。手間を省くために作り置き
もしたいし。水分を飛ばして味を濃くしてみたり、思い出横丁のお店で出していた角煮を
加えてみたり。。その内、角煮から出て来た油を加えるとあまりベチャベチャしたものに
ならないと分かったの。
ある日、奥さんが自分達の昼食用に野菜炒めを作っていたんだけど、丁度お米が足りなくて
仕方なく余った麺を入れて炒めてみた。それはそれで食べれたんだよね。
そんな事を試行錯誤していくうちに、野菜を角煮から出た油で炒めた油炒めソバみたい
なのが出来たの。この時点ではまだ醤油味のものだったんだよ」
終戦直後は油は貴重だろうね。
だから肉から出たラードを使ったのか、、まあ、逆にコクが出そうな味付けだよね。
そこに麺を入れた食べ物か。 ふ~~ん、これはこれで面白い食べ物に思える。
「その食べ物はだんだん人気が出てきたんだよ。それでお店の方でも出してみたんだよね。
でもまだ味が薄いとか食べた感じがしないと言われていたの。ある日、味が薄いと感じた
お客さんが醤油と間違えてソースをその油炒めソバにかけちゃったんだよ。もともと
お店のソースはコロッケとかとんかつ用のものだったんだけどね。そしてそれを食べた
お客さんがこれはすごく美味しいと。騙されたと思って主人に食べてみなと勧められて
食べてみたら美味しい。それが発端で油炒めソバにソースをかける食べ物を提供したの。
ソースで炒めると言ってもまだまだ醤油ベースにソースを加えて炒める程度だから、
今の焼きそばとは少し違うけどね」
油炒めソバの味が薄いと感じたお客が、間違ってソースをかけてしまったのが発端?
あ~~~そうやって偶然に味付けされた物が原型なのか!
「これなら冷めても味が濃いから食べられるし、何より材料のコストも安い。お土産に
持って帰りたいというお客さんも増えてきた。当時、食べ物のお土産というと寿司や焼き鳥
程度で、高価だったり汁が垂れたりして今ひとつだったけど、この商品は庶民的な値段だし
汁も垂れないからもってこいの商品だった。それで爆発的な人気が出て、周りのお店も
作り始め他の地域にも広がっていったの。それからどんどん改良されていってソースが
メインの焼きそばが出来た、、という訳」
わ~~~凄い凄い!
コストもかからないし屋台でも楽に調理できるし、しかも安い。
だから屋台でも売られるような食べ物になっていったか!
いや===こんな話だったのか~~~
え? 何? 作った焼きそばが余っているから、明日の晩ご飯も
焼きそば??
うは======== ( ;∀;)
ーーーーーーー
ソース焼きそばの発祥は、各地で起源を主張していますが、さとこ が視た最初は
こんな光景でした。多くの人が集まり、そして多くの物が集まったであろう新宿が
いち早く戦後スグから発展し、その人達のために多くの飲食店も有ったと思います。
そして、そこで発明されたソース焼きそばの原型が鉄道網で各地に伝わっていったのも
何となく分かる感じがします。
料理の起源は時として偶然の産物から出来る事もあるみたいですね。

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