ブルーカナリア

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ご自身はなんでも出遅れてしまうと、

昨日の事をブログにあげられていたブロ友さん。

同じだな。私も同じです。

いっつも出遅れてますって

思わず呟いていました。。


昔からのんびり屋の私。


哀しみと暮らすようになり、

踏み出すことに躊躇して

そして、のんびりに

一層拍車がかかった気がする。

タイムリーな話題や、

グループLINEとか

ますます苦手となった。


その日、その日に思った事

私なんて2ヶ月も前の話

なんだか背中を押してもらえた気がして

遅ればせながら書いてみたくなりました。




まずは111

この日は、職場の朝の放送当番で

何か話題はと

「今日はなんの日」を検索してみた。



そうね。今日の話題は鏡開きか、

そう言えば昔聞いた事あったし、

祖母も、包丁は入れず、

木槌で叩いて

あられを作ってくれたっけ。

でもやだな。切腹って、自害。

皆が知っているわけではないけれど、

息子を亡くした私が切腹の話しするなんて。

そんな事思っていたら、

放送機器が壊れて

その日は放送しなくて良くなった。

息子だね。

嫌なことは言わなくて良いんだよ。

って守ってくれたんだね。

有難う。

そんな事がありました。





また別の日。



なんとも愛らしい。

120日はシマエナガの日


朝のご挨拶。

毎朝、利用者様に、

今日はこんな日ですと話します。


初めて知りました。

こんな可愛い鳥がいるなんて。

本当に雪の妖精。

初めてこの子たちの存在を知った日、

以前から見せて頂いていたブログの中にも

シマエナガのことが紹介されていました。

寒いさむい冬のお空でも

天使息子たちも寄り添い

暖め合っている事でしょうね。


辛かった日々、さまざまな話題で

力をいただいた方。

今では超人気ブロガーとなり

そんな中にあっても、

私を見つけてくださる優しさに

いつも感謝しています。

いつか、お礼が言いたかったのです。

繋がって頂いていることに

本当に有難うございます。




1月26日はツローの日。


中国の諺

三日間幸せになりたかったら

結婚しなさい。

八日間幸せになりたかったら

豚を食べなさい。

永遠に幸せになりたかったら

釣りを覚えなさい。


Cちゃんは結婚しなかったなぁ。

意識もしてなかったのかな。

私もあなたが結婚することとか

想像もできなかった。

釣りは、、、

たまに行ったよね。

海釣り公園。

もっともっと、

一緒に釣りに行けば良かったね。

もう一人で行く気にはなれないなぁ。






217日は私の誕生日。

別の意味で

天使のささやき。

あの子のささやきが

聞こえる日なんじゃないかと

ちょっと嬉しくて、耳を澄ませた。

さして、めでたくもない日ではあるのだけれど

私が生まれなかったら

Cちゃんにも出会えてなかったんだものね。

短い時間だったけれど

幸せな時間もたくさんあったよね。

ありがとね。

やっとここまで来る事ができたかな。




そして2月22日は猫の日。



猫と一緒に暮らせる日に感謝し、

喜びを噛み締める日とありました。


本当に、あの日から

息子の愛猫まおちゃんとは

一緒に居てくれること、

いつか来るお別れの日

11日噛み締めながら暮らしていたと思う。

あの子が逝ってしまった哀しさを

一番身近で支え合って生きていたんだよね。


昨年、3回忌に納骨をする事を

決心してからも

あの子とまた、

お別れしなければならない辛さに

打ちひしがれ、

この選択で間違いないのかと

幾度となく自問自答した。

そんな矢先、

まおちゃんの具合がどんどん悪くなり、

入退院を繰り返した。

家に帰れてからも、朝に晩に点滴を行い

嫌な薬を飲ませた。

辛く痛い事をする私との、信頼関係も

崩れていく恐怖を感じた日々。


そんな時、

寄り添いレイキを送ってくれた

〇〇ママ

あの日からまおは

不思議と元気を取り戻し

あれから6ヶ月

苦しみのない生活を送り

毎朝、私のトイレタイムには

私の膝に自力でも乗れるまでに回復して

大切なあたたかな時間を

過ごす事ができました。

何度も何度もぎゅーってして

まおちゃんの温もりを

身体に染み込ませたんだよ。

いなくなるなんて絶対に嫌

と思っていた私の想いも

穏やかに

健気に寄り添うまおちゃんに

教えられ

早くCちゃんに逢えたらいいね

と、思えるまでになった頃

一日毎に秋が深まり、気温が下がり始め

まおちゃんの体調もまた芳しくなくなり

じっとしている事が多くなりました。



10月の月命日、お墓参りの時の空。

とても幻想的で、羽ばたく鳥をあの子が見守っているように見えて。

その翌日、まおは息を引き取りました。


最期の刻、まおは、私の膝の上で

夫も見守る中、

あの子の元に走っていく事ができました。

にゃおーんと、一声泣き

後ろ足がパカらって動いて

そして眠りにつきました。

とても安らかな眠りに。

大好きなCちゃんの

お迎えがあったのでしょうね。

すぐそこに息子を感じることも

できましたから。



昨年の3回忌では、私に取って

不思議の連続

なかなかあの日のことをかくことができないままなのですが、

いつか、書く事ができたらいいなぁと

思っています。

支えてくださった〇〇ママ

有難う。

納骨をして、手元に

喉仏と少しのあの子を残しました。




自宅で火葬を済ませたまおちゃん。

お骨あげも家族みんなですることが

出来ました。


これが喉仏で、これが尻尾。

小さな星形で、本当にかわいらしい。

小さな爪までも残す事ができました。


そして、何より嬉しかったのは、

あの子の喉仏の中に

まおちゃんの喉仏が

スッポリ治った事。


大切な大切な私の宝物。


私がいくときには

お守りとなり

私を導いてくれると

信じています。




そしておととい、

シマエナガちゃんのブログを書いてくださった方のブログが更新されて

今回は青いカナリアの歌の紹介。


不思議なリズムと切ない歌詞。


混沌とした社会情勢を表しているようで

何度となく聞いてしまった。


古い映画で坑道を進む時、

有毒ガス検知に、鳥かごに入って

先頭に居ます。

【坑道のカナリア!】

それだけ敏感に反応すると、

云うことでしょうか?


ロシアのウクライナ侵攻。

二度と繰り返されてはならない

戦争のはずなのに。

そして

終わりの見えないコロナ。


コロナや戦争により金儲けを企む輩。


国民はまるで坑道を進む籠に

入れられたカナリアなのだと

とても恐ろしくなりました。


:Blue Canary/Dinah Shore(With Japanese lyrics)   青いカナリア/ダイナ・ショア (和訳歌詞付)1953年、ヴィンセント・フィオリノ作詞・作曲彼の帰りを待ってカナリアに語りかける、そんな可憐でブルーな女心を綴ったポピュラー・ソングです。リンクyoutube.com



淋しいカナリアわたしのお友達

夢見て歌えよ青いカナリア

優しいあの人がいつも唄ってた

愛の子守唄を歌いましょうよ

悲しい言葉は小川に捨てよう

辛い思い出なら森に捨てよう

クィ!クィ!チィ!チィ!チィ!

井田 誠一 訳詞 VCFiorino 作曲