マンガのような人生?! | ユニリース広島の社長日記

ユニリース広島の社長日記

お客様の商売繁盛応援団

こんにちは、昨日からブログをはじめました、初山です。

僕は、広島県の尾道でユニフォームのレンタルと販売の会社を経営しています。



2回目のブログということで、自己紹介をしてみたいと思います。



出身は、神奈川県の川崎という町です。広島の人に川崎のイメージを聞くと

「工業の町で空がグレーの色をしている感じ?」 とよく言われます。



あたっているような、いないような・・・・・



でも、僕にとっては、地元なので、ともよい町に感じます。




高校は、東京の駒沢大学高等学校という学校で、

1500人が男ばかりという、男子校でした。



先生も男ばかりで、入学式の当日に黒い学生服を着た集団を見て、


退学届を出そうと思ったぐらい入学したことに後悔しました。




そんな気持ちで始まった、高校生活でしたが、



2か月もたつと、「合同コンパ」という、素晴らしい集まりが

あることを知り、一気に高校生活がバラ色に染まりました。



意外と単純な自分に情けなさを感じながらも、楽しい高校生活を過ごしました。




大学には行かずに・・・(行けなかっただけですが、泣)

20歳~25歳まで、カジノバーでディーラーをしていました。



得意なゲームは「ルーレット」と「バカラ」でした。



特にルーレットでは「お客さんに「0」に入れてみてよ」

と言われて、


得意げに「0」にいれようとするのですが、

ほとんど、入ることがなく、いつもがっかりさせていました(笑)




25歳時に突然、人生に嫌気がさして、海外に行きたくなり、8か月ほど、放浪していました。


アメリカのNYには半年ほど、住んでいました。  といっても



英語が喋れるようになったわけでもなく、ほぼ毎日ジャパニーズ居酒屋で

飲んだくれているだけでしたが・・・




26歳の時に日本戻ってきて、半年後、

友人と東京の自由が丘に洋風居酒屋をオープンしました。





2年がすぎたころ、一緒にやっていた友人と方向性の違いから

仲がわるくなり、話し合いの結果、私がやめることになりました。(泣)




その当時(28歳)に付き合っていた、彼女の実家が広島県の尾道で

クリーニング店をしていたので、無理をいって働かせてもらうことになりました。




昔から、「29歳では社長になる」 と決めいたので、

そのクリーニング店を法人化して、社長になりました。



そして今・・・




ユニフォームのレンタルと販売の会社に変化して、

早12年目が過ぎようとしています



嫁からは、「あんたの人生ってよくできた、作り話みたい・・・」


って言われます。



今振り返ってみると、たしかに・・・マンガみたいかも・・・

でも、けっこう満足しています。