ジュルネ・コンサートから | たかがピアノされどピアノの日常

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埼玉県戸田市のピアニスト伊集院紀子の毎日

夜中です。

先ほどジュルネの5月2日最後のコンサートから帰ってきました。

今日(2日)は4つのコンサートを聴いてきました。ベレゾフスキーは感想を書きましたので、北村朋幹さんの感想を。

素晴らしい才能だと思いました。以前一度シューベルトのソナタを聴き、その時も上手いなあと思いましたが、今回はすでにソリストとして一つのコンサートをまとめあげる力が、他の若手や中堅ピアニストとは一線を画しているように感じました。プログラミングは自分で考えられたのでしょうかね?だとしたらこの若さでそら恐ろしいです。

今年はショパンイヤーですが、彼はショパンそのものではなく、ショパンに関係する曲を集めてのコンサートでした。カゼッラやシューマン、セヴラックやチャイコフスキーなど、非常に選曲が面白いし、その組み方もセンスの良さを感じました。

中でも、クラムという作曲家のマクロコスモスからの一曲が実に見事だったと思います。

一貫した旋律と骨組みの中に、突如として幻想即興曲の一節が入ってくるのですが、その意外性と他の部分の一貫性が、それぞれ完璧にコントロールされていました。どの曲もよかったですが、クラムは本当に素晴らしかった。

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さて、あとの二つのコンサートですが、一つは非常に期待していたコンサートでしたが、予想に反してがっくりでした。

その前に聴いた二人が非常にハイレベルな事をやっていただけに、余計に荒さが目立ったのかも。しかしそれがなくても今非常に活躍されている期待の女性なので、ちょっと驚いてしまいました。

しかし音色がいただけないのはホールの響きのせいだったのかもしれないし、センスが??なのは不調だっただけなのかも。好調な時は素晴らしいのかも。

本番がどれほど大変か私自身身にしみて知っていますので、また次回を期待・・・?でしょうか?選曲も彼女には合っていなかったと思うのですが・・・うーん、、なんとも言えない。。。


最後のコンサートは、暗がりの中で誰かが交代で演奏して、後で奏者が分かるというコンサートでした。


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正面の舞台にパーティションみたいなのが立っていて、その向こう側にピアノが置いてあります。この後真っ暗になって、しきり越しにうっすらピアニストの影を眺めながら聴くような形になっていました。

プログラムは一人を除いて皆ショパン。

4人弾いたうちの一人は準備不足か不調だったか?であちこち危なっかしく、いい部分と荒い部分とが混在していました。もう一人は手の勢いに任せた気まぐれな演奏な上、PPがmPくらいの音量になってしまうので、楽譜にmpとmfしか書いていないかのような音楽になってしまっていました。

残り二人がよく考えられ、コントロールされたいい演奏だったと思います。こういうジョイントは、はっきり違いが聴こえてしまって奏者にとってキツイですね。。しかも作曲家まで一緒・・・よほど強く自分を保たないと怖くて弾けないですね。参加されただけでも頭が下がります。土下座

今日聴いたのは以上で、どれも色々な意味で大変な勉強になりました。明日は自分の練習しないと・・・。