苦悩 | たかがピアノされどピアノの日常

たかがピアノされどピアノの日常

埼玉県戸田市のピアニスト伊集院紀子の毎日

連日、レッスンと練習とサッカーに悲喜こもごも大揺れな日々を送っています。


一昨日は少し離れたピアノ屋さんでレッスンがありました。主にリストをやりました。レッスンを受けた部分は、大分面白い曲になってくるのですが、受けていないところはさっぱり冴えません。ホント、自分にイライラします。


M師のひらめきは通常の感性を超えていて、それをM師が演奏すると、「この人は天才なんだな・・・」と思う別格の音になってしまいます。仮にその解釈に賛否両論や好みがあるにせよ、そういう枠を超えた、常人ではない演奏になるのです。


今日も、マルトゥッチのラストの部分を弾いてくださったのですが、あまりのキレた演奏に、あいた口がふさがらない。。。何がすごいって・・・説明は難しいのですが、M師の中でのとらえたこの曲の全てが、圧倒的な説得力を持って、聴いているものにぐいぐいと突きつけられるのです。


これはもう、曲の解釈がどうとか、曲の時代やスタイルや作曲家がなんだとか、そういう次元の話でありません。そんなものは演奏の根底に当たり前に存在するもので、更にそこにピアニストとしてのM師が曲中に君臨しているのです。


以前この曲を日本に初めていらしたときに演奏会で弾かれたそうですが、聴衆は私と同じく、「この人は天才なんだなと思った」と言ったそうです。その気持ちよくわかる。


まあこれは口でいっても「ふーんそうなの?」と思われる方が大半でしょう。演奏を聴けば私のいう意味を分かっていただけると思います。思わぬところでM師の演奏を聴けるかもしれません。9月をお楽しみに音譜


さて私のレッスンはというと、あまりに強烈なM師の迫力と、「演奏する」ということに対してのM師の考え方に、自分の限界を感じて息も絶え絶え。

ここで諦める人と喰いつく人で差ができるんでしょうか・・・。泣いても(泣いてないけど)誰も助けてくれないので、自分にムカつきながら練習してます。あーあったまくる。ちっきしょ~爆弾