地図は思案橋の位置を示すものです。
10月7日の神社巡りの続きですが、なにしろこの日はやることなすこと歯切れが悪い。古河市内に入ったのが午後で、観光自転車を午後四時までに返却しないと...の思いもあり、前回観光自転車の鍵を落としたことも脳裏をかすめたり...
長谷町の稲荷神社にお参りした後、町名の由来であろう長谷観音へ。
日本三大長谷観音の一つなんですね。
ここまで来たら、観音様を見ればいいのに、外側から建物を見ただけ、でした。
さらにうろちょろしていると名も知らぬ祠がありました。
で、橋の際に小さな公園があり、銅像があるのです(橋の写真も、公園の写真も撮り忘れ)。何だろうと思い、近寄ってみました。うん?静御前の像。
どうやら、静御前が義経を追ってこの古河あたりまで来たようなんです。で、義経が死んだとの風の便りを聞き、さらに進むか京に戻るか思案橋...ということのようです。
ウイキペディアから、光了寺の項を引用します。
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光了寺(こうりょうじ)は、茨城県古河市中田にある浄土真宗大谷派の寺院。
かつては武蔵国高柳村(現久喜市高柳)にあり、天台宗の「高柳寺」と称した。建保年間(1213年~1218年)、住職の円崇興悦が親鸞の弟子となって、法名を「西願」と改め、浄土真宗の「光了寺」となる。のち五世・感悦のときに高柳から栗橋に移り、六世・悦信のときに栗橋から中田 に移ったと伝えられている。
当寺には鎌倉時代初期に源義経の愛妾・静御前が葬られ、遺品として守本尊・舞衣・義経の懐剣が納められたという伝承がある。
静御前は奥州・平泉に逃れた源義経を追って、侍女の琴柱とともに古河の下辺見村まで来たが、ここで義経の死を知り、橋の上で奥州に行くか京に戻るか思案したのちに戻ることとした。しかし悲しみのあまり、伊坂(現久喜市栗橋)で病に伏し、亡くなったため、琴柱は静御前を当寺に葬り、墓の印として一本の杉を植えたという。この伝承は寺蔵の『静女蛙蟆龍御衣略縁起』によるが実物は現存していない。近世の地誌『古河志』や『利根川図志』の引用、あるいは古河市仁連の個人所蔵板本『静女蛙蟆龍御衣略縁起』(文政9年)が残されている。 静御前が思案した橋は「思案橋」と呼ばれ、今でも下辺見の国道354号・向堀川上の道路橋が「思案橋」と名付けられている。
山門を入ると右手に宝物殿があり、文化財に指定された後述の聖徳太子立像・蛙蟆龍(あまりょう)の御衣、他にも、静御前の守本尊・源義経の懐剣・アブミ・弘法大師作の大黒天の灰像など寺宝が所蔵されている。なお、寺宝見学には事前の予約が必要である。
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