うっ、やってしまった!! | 虫と花 人と鳥

虫と花 人と鳥

スピリチュアルが好きで関心のあるものにレンズを向けます。ようやく人って面白いなと思い始めています。神々の皆様、背後霊そして周囲の全てに感謝を捧げます。ありがとうございます。

私は特許事務所に勤めていることもあって、特許事務支援のソフト(実際には、MS-WORDと一太郎のマクロ)を作成、販売しています。私の人柄にあった多少泥臭いソフトだけれど、ユーザの方々には喜んで使っていただいてはや10年以上にもなります。秀丸エディタ用にも同様のソフト(マクロ)を造っていて、こちらはエディタという性格上、フリーソフト(にするしかない...だってソースはtextファイルなので)。



この後者はもう4年くらいヴァージョンアップもせずにほっておいたのでしたが、先頃ひょいと思い立って、機能を追加してヴァージョンアップしました。途端にユーザーの一人の方からうまく作動しないと、クレームが...こちらは、自分のマシンでは確実に動作しているので、何でだろうと思い、相手のマシン若しくは操作の仕方に問題があるのではと思いつつ、メールで応対。メールのやりとりをする中で、気持ちがすれ違い、ややもすれば、すきま風が...



結論からすると、当方の大ぽかで、プログラム上に見落としがあったのでした。この例に見るまでもなく、自分のミスを見つけるのは難しいものです。自分のことや身辺のことは冷静に判断するのが難しいのです。



話は少し飛びますが、私はサイキックな人の持つ「見える」という能力がなかなか理解できず、どういう風にみえるのだろう、と常々思っていました。ところが最近、ある出来事があって(詳しくは省略)ふいに「見える」ということがわかりました。というか、実は自分も常にではないがおりにふれて「見えて」いたのだと気づきました。気づいてびっくり、でした。それが「見える」ということだとは思ってもみなかったので...



私は物をありありと頭の中でイメージするということは本来あまり得意でないのですが、時々壁の向こう側、メールや電話をしている相手の様子、その時の相手の気持ちまでがはっきりとイメージできることがあって、何でそんなときだけ想像力、イメージ力が高まるのだろうと常々不思議に思っていたのでしたが、実は、それは想像ではなく「見えていた」、らしいのです。



たとえば、オーラとかは、特殊な人だけが見えるのではなく、普通の人にも見えているものだと言いますね。見えているのだけれど、見えていること自体に気づいていない。そういうことが世の中には多いみたいです。自分の周りに、そして自分の中にある無駄な物をだんだん取り去ることにより、素に戻ることで、本来自分が何をどう見ているか、また、先ほどの例のように、「見えている」のに単に頭で想像しているのだと錯覚してしまうことから免れるようになるみたいです。私の知人は、最初、ご自分がオーラを見えることをご自分に大きく否定していましたが、今は、その道で大いに活躍しています。



自分を見つめ、周囲の人を見つめ、世の中を見つめるためには思いこみというものをなくしていって素に戻るのが良い、と改めて思い、今回のソフトウエアでの失態を反省しています。でも、そのユーザーの方とはそんなふれあいの中で少しでも互いに理解を深めることができた、かとも思っています。まっ、いろいろありますね。



にほんブログ村のブログランキングに参加しています。よろしかったらぽちっとお押しください