百聞は一見にしかず | 虫と花 人と鳥

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スピリチュアルが好きで関心のあるものにレンズを向けます。ようやく人って面白いなと思い始めています。神々の皆様、背後霊そして周囲の全てに感謝を捧げます。ありがとうございます。

ということわざがありますね。百のことを聞いても、一つ見ることに及ばない。つまり、見ることを肯定した、言い換えれば見ることに対してポジティブな色をつけた表現です。



英語では、これを Seeing is believing. といいます。実際の英会話などではどのような言い回しで言われるのか知りませんが(笑)、見れば信じられるよ、見なきゃ信じられないというように、やはり見ることを肯定した表現なのでしょうね。



ただ、厳密に考えれば「見ること すなわち 信ずること」という意味合いですから、本来は必ずしもポジティブな色合いの表現ではないのでしょう。見たら信じてしまう、とも言えます。



人の目というものはあまり正確に物を捕らえていないようです。結構アバウトにこんなもんでしょと、しかも自分なりのフィルターを通して見ているのです。先日NHKの深夜番組で錯視が取り上げられていて興味深かったです。錯視とは長短、濃淡、動きなどがないのにあるかのように見えてしまうことですね。錯視は避けられないもののようです。錯視の専門家に対し爆笑問題の太田さんがつっこみを入れていて、「人間が見るものは全て自分である、自分しか見えない」と言ってましたが、深い表現ですね。目で見るということは自分の脳の中、目の裏側に像(イメージ)を造ることだから、見るということは image、イマジネーション、想像、創造なんですね。頭の中に造ってしまうんですね。



だから、見ることが心のありようにも大きく関わっていて、先日のブログで言ったように、自分の背後の少し高い位置から自分を見ることによりハイヤーセルフの視点、心持ちになれるのですね。



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