
著名な作家が書いた「たらいの縁を見ていた」というのが知られています。産湯に浸かっていたのを覚えているという意味ですね。前世の記憶のある子供達の中には産道を通ってきたのを覚えている人もいるようです。
私の場合は、どちらでもないです。
私が覚えているのは四つんばいになって、ハイハイをしていた記憶です。おそらくは1歳前後でしょうね。ハイハイをして喜んでいたら突然抱き上げられて不機嫌になった記憶があります。もう一つは何かの台に乗せられてこれはなんだろうと不思議におもった記憶。後でわかったのですが(私の子供の頃のアルバムを親から見せてもらった)、オートバイの荷台に載せられて大写しの写真を撮られたのでした、親が写真を撮るのが趣味だったのです...いずれも静岡で母の実家にいた頃のことです。
客観的に言って、荷台のほうは、写真を見て逆にそういう記憶を造った可能性は否定できませんが、ハイハイの方はある意味突飛なので記憶のいたずらの可能性は低そうです。今こうやって考えたりするのには言葉の力抜きではありえなそうにも思われるのですが、この世での最初の記憶が確かだとすると、言葉をしゃべれないうちから、つまり言葉で考えをまとめることができなくとも思いを持つこと自体はできたことになります。複雑な思考はできなくとも、自分の世界の範囲内で思いをはせることはできるようです。そのとき見えていた光景からすると、赤ん坊の視野はかなり狭いと思われます。
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