ミラノ道場11年目に突入。
「365の伝えたい話」というブログをずっと書き続け、2017年の3月に無事365本書き終えたところで、ブログも一旦無期限の充電期間に入った。
月日が経つのは浦島太郎並みに早く、半年後くらいに再開させようと漠然と思っていたが、気がつけばすでに1年半も充電期間が経っていた。
若い頃、独り言を言うおじいさんを見ては「変な爺さん」と思っていたが、最近、気がつくとボソッと独り言を言ってる自分がおり、こう言うことだったのか、、、と妙に納得している。
頭で考えていたことが、自然に口から出てしまうという、、、呟いた途端、自分の声にハッとし、恥ずかしい思いをする。周りに人がいなければいいが、いたらきっと頭のネジが緩んでしまった可哀想な人、、、くらいに思われているのだろう。
ま〜それならそれでいい。
そこで私はいいことを考えた!!
独り言を言う人は、ネジの緩んだ人だから周りの人は関わらないでいようという態度をとる。つまりこちらには無関心。で、相手が若者なら、四字熟語、論語、ことわざを知らないものが多い。
なので、地下鉄など公共の交通機関でイヤホンもつけず大音量で音楽を聞いている若者が座ればそっと独り言を彼に向かって呟く「厚顔無恥」と。
若者は言われた意味もわからぬので、独り言を言う可哀想な人という目で私を見る。しかし私はちゃんと言いたいことは言える。まさに戦わずして勝つに近い境地。ここで若者に対して嫌な顔を向け、「チッ、うるせーな〜」みたいな事を言おうものなら争い事に発展し、最後はお互い嫌な思いをするだけ。それなら独り言という体裁を保ちながらも、相手にとって理解不能言語で諭すというのは面白いではないか。
歩きタバコを今だにカッコイイなんて思っている輩にはすれ違い際に「傍若無人」と言えば良い。
これ陰口や悪口ではない。あくまで正論。ただ正論はい多くの場合争いごとになりやすい。
ならば若者が理解しにくいことわざ、論語で独り言風に吐く。
私のように海外で過ごす者なら日本語で正論を呟いてみる。
「呟くのは恥だが役に立つ!」