西本願寺へ行く通り道で、しばらくぶり
に島原を通ってみた

この地名です。
歴史~
島原は豊臣秀吉が許可した日本最古の
公許花街。
1641年(寛永18年)、六条三筋町の
傾城町から島原に移された。
これが2回目の移転となる。
その移転騒動が島原の乱の乱れに
似てることから、島原という名前に
なったという説もある。
江戸中期には文人、俳人などの社交の
場となり、「島原俳壇」を形成する
など、文化的にかなり栄えた時期
もあった。
が、立地が悪く、格式が高すぎた事が
仇となり、その後、幕府が新たに
定めた4箇所の花街、祇園、二条新地、
七条新地(五条楽園)、北野上七軒へ
と人の流れが移り、島原は衰退した
~wiki
衰退する前の幕末には、新撰組の隊士や
桂小五郎、坂本龍馬、西郷隆盛なども
通っていたらしい


ほんの町の一角では、あるけど
歴史深い場所だった。
街並みは、なんとなく祇園に似て
るけど、花見小路等は撮影禁止
の場所も沢山あるし、ここの方が
人も少なくて、建物等はゆっくり
見物できると思う
このすぐ先が西本願寺です
伏見城からの寄進ともいわれる
西本願寺の唐門はかなり豪華だし、
島原に通うと、傾城すると言われる
程で、その当時の島原と公家や武家
等の権力は凄かったんだと思う。