西教寺続きです~
良かったら、どうぞ~
前回↓
本堂を横から。江戸時代の1739年に
作られたものだそう。
古びた建具などに趣を感じました
本堂の奥が伏見城から移築された
客殿。これからの桜の季節に
訪れると、落ち着いた雰囲気の
中、お花見もできて良いだろう
と思われます
手水舎の竜さんの後ろ姿が、
可愛らしく、つい撮った
前からみると、ちょこん
手水舎の屋根は立派で瓦に文字
まで掘られてます
光秀公の立派な武家のお墓と
明智一族のお墓がズラリ。
後ろには阿弥陀如来二十五菩薩像。
秀光公を偲び、手を合わせました。
左側、松尾芭蕉が句を残しています。
月さびよ 明智が妻の 咄(はなし)せよ
芭蕉が女性の句を詠むのは
大変珍しい事のようで、煕子夫人
の事を詠みつつ戦で討たれた家臣
などを偲んだ句だそうです。
左側は煕子夫人のご実家妻木一族
の縁の方の供養塔です。
戦国の世を生きた、どこまでも主君
に仕える家臣の義は本当にすごいと
思う。
そんな光秀公は主君の信長公を
討つけれど、討たなくてはならない
理由があり、前に明智家の末裔だと
名乗る方の本を見て、興味深く
納得した。
この後、坂本の町を散策した
ので、そこで少しふれる事
にします。
お墓の前には琵琶湖の美しい風景。
お墓というのは継続が困難で問題に
なりがちですが、こんな美しい
風景の光秀公の人生で最も良い時代
を過ごした町にあるのは、幸せな
事だろうと思います
もうすぐ、琵琶湖を望む桜の名所かと
思われるような風景。
またお花見にやって来たい
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